「私ね、姉がいたの」
 コーヒー片手に不意に切り出したからか、目の前で同じように向かい合っている彼女は少し驚いた様子でこちらを見つめたけれど、私はそんな表情の彼女に気づきもしないかのように付け加える。
「綺麗で女性らしくて、優しい。そしてとんでもなく度胸と勇気のある人だったわ」

 自他共に彼女に対して話しかけたことなど数足りたことを自覚していたから、彼女は少し戸惑った様子だったけれど、すぐに嬉しそうに相槌を打ってくれた。
「えっと…………志保ちゃんのお姉さんならきっと凄く美人だろうね」
「ええ、そうね。でも、私なんかより貴女に似ていたわ」
 一度口に付けたコーヒーを置いて告げると、今度こそ驚きが勝ったような顔をこちらに向けてきたので、少し笑みが漏れてしまった。
「か、からかってるでしょ、もう! 私は綺麗でもないし、大した勇気もないわよ!」
「あら、どことも知れない場所で銃撃戦を繰り広げてる最中、自らを盾にしてたいして仲の良くない女の子を守ってしまう人のことを勇気がないなんて言うのかしら?」
 それこそ女の子らしい反応を示してきた彼女は私をまっすぐに見つめてきたので、くすりと笑って見せてぼんやりと昔を思い出しながら反論を告げる。
 すると彼女は少し言葉をつまらせて、ばつが悪そうに頼んでおいた飲み物を一口含んだ。
「そういうことだからあまり気にしなくていいのよ」
「……え?」
「私は『お姉ちゃん』に幸せになってほしいから、貴女の幸せをとったりなんかしないわ」

 そんなこと、たいして望んではいないけれど、例えこちらがそう想っていたとしてそれが現実になることなんて皆無なのだ、ある程度の期間私は彼の近くにいたのだからそのくらい分かっている。
 彼は殺人事件で関わる時と同一人物だとは思えないほどには、不器用でそういった分類に関して酷く鈍い人間だ。最も、目の前の彼女もそういったことに関しては不器用そうだから、元の身体に戻ったからといってそういったものがうまく伝わっているような気はしないけれど。
「むしろ工藤君に貴女を任せる方が心配なくらいよ。どうせ今日だっていつもの刑事さんに呼び出されたんでしょう?」
「あ、あはは……うん」
 困ったような笑みを向けて彼女はこちらを伺ってくる。どうやら予想は的中のようだった。

 用事を済ませて街を歩いていると、鏡越しに彼女を見つけた。そんな彼女はなんだか呆れたように携帯電話を見つめていたので、そんな予想を思って、ただなんとくなく、ちょっとした気まぐれで声をかけたのだった。
 そんな私たちを周りの人はどう思うだろうかなんて少し思う。


「哀ちゃ、じゃなかった、志保ちゃん。ごめんね」
 不意に謝られて首を傾げると、なんだか少し照れが混ざったような表情が返ってくる。
「私、羨ましかったんだ。だってほら、アイツ、今までなんにも知らせてくれなかったから」
「なんだ、そんなこと? そんなのお互い様よ」
「え?」
「周りから大切にされて守られてるとばかり思ってたのに、いつだって最終的には自分から何かを守れる強さを持っている貴女が、私も羨ましかった」
 私も彼女みたいな強さがあったら何か変わっただろうか。姉を、あの人を、

「……志保ちゃんは、私を美化しすぎだよね、絶対」
「そうかしら?」
「うん絶対に絶対!」
 そんなことは多分ないのだろうけれどはっきりと言い返してきたから、彼女はきっと納得してくれないだろうと、そうかもしれないわね、と同意をしてみせた。
(ああ本当に、お姉ちゃんに似ている)
 きっと彼女は私が姉に対して話し言葉の全てが過去系なのも気付いているのだろう。それを分かってなお言及してこないところもまた彼女の人の良さを思わせた。
 くすくすと穏やかな時間が流れる。ふと外を見つめてもう一度彼女に向って笑ってみせる。
「貴女はお姉ちゃんに似てるけれど、あの人はお兄ちゃんなんて思いたくもないわね」
「あの人って新一?」
「ええ、ほら」
 人差し指を店の入り口に向けるとそれを追うように彼女の目線が動く。体ごと振り向かせると、カランと入口の音が鳴り、人が入って来た。先ほどガラス越しに向って来るのを見つけたのだ。

「げっ、…………どんな組み合わせだよ」
 心の底から嫌そうな表情を浮かべる人物にコーヒーを飲みながら顔を見る。
「あら、私が彼女と会話をしちゃいけなかったのかしら?」
「そうじゃねーけど、なんでオメーがここにいんだよ」
「随分な言い方ね。折角の待ち合わせに遅れる探偵さんを、それは健気に待っている彼女を見つけたから二人で有意義な話をしていたのよ、ね?」
「うん!」
 座ったまにそう告げて彼女に目を向けると、有意義かどうかはさておいて彼女は嬉しそうに奇麗な笑顔に頷いてくれた。工藤君はその顔に見とれていたのか、それとも私の言い分に何か引っかかるようなところがあったのか、何度か言葉を詰まらせた後、半目でこちらを睨んでくる。
「どーせ俺の悪口かなんかだろ?」
「さぁ? どうかしら。そんなに気になるんだったら待ち合わせなんかに遅れないことね」
「灰原、オメーなぁ……」
「あははっ!」
 私との会話をじっと聞いていた彼女は、堰を切ったように笑い出したので、すぐさま工藤君は面白そうに目元に手をやって涙を拭きとるような仕草をしている彼女に向き直った。
「なに笑ってんだよ」
「だって新一が何にも返せないなんて珍しくて、面白いじゃない」
「面白くねーよ!」
 今度はあっちが言い合いを始めたのを見届けながらコーヒーを飲みほして、腰をあげて立ち上がる。
「待ち人も来たみたいだし私はそろそろ行くわね。今度ゆっくりお茶でもしましょう?」
「いいの!?」
「ええ、もちろん。ああそうだ工藤君。彼女を待たせた罰として私のコーヒー代よろしくね」
「なっ……あーあー、分りましたよっと」
 腑に落ちないだろうけれど諦めたらしい彼は、はいはいと右手を振る。どう考えたって分が悪いと判断したらしくこの状況を脱したいようなのは手に取るように分かった。
「それじゃ、御二人さん、またね」
「またね、志保ちゃん」
 手を振ると彼女は嬉しそうに手を振り返してくれた。その店から出てガラス越しに二人を見れば、彼女が楽しそうに笑っている隣で工藤君は拗ねたような少しつまらなさそうな顔をしていた。
 まるで小学生みたいね、なんて言ったらどんな顔をするだろうかと思いながら視線を外して家へと帰るように足を運ぶ。
 灰原と呼ばれようと哀ちゃんと呼ばれようと、志保ちゃんと呼ばれようと、そのどちらでもあると思えるようになった私が私自身の人生を歩もうと足を踏み出そうとしているなんて、数年前の私が見たらどう思うだろう。

(ね、お姉ちゃん)

 ガラス越しに見た彼女の表情はやはり綺麗で、女性らしくて優しい笑みだった。だからこの先彼女はそうやって笑っていてくれればいい、これは本当の気持ち。
 姉の代わりに、だなんて押し付ける気はないれど、せめて姉と重なる彼女がどうか幸せにと思うのも本当の私なのだから。

「始めまして」