「「なぁ、工藤!!」」
 ステレオで自分の名前を呼ばれた彼は心底呆けた顔をして首を傾げた。





 やっと昔と変わらない普通の日常生活を手に入れた東を代表とする探偵は朝から優雅にコーヒーを飲んでいた。
 尤も彼の云う普通とは、警視庁から要請があったり、旅行先で殺人事件出くわしたりすることもそれに含まれているので、その辺は他の“日常”と同一視して良いものかは甚だ疑問なところではあるのだが。
 しかし今日はそれらの日常に当てはまることもなく、両親から送られてきた推理小説を読みふけるという、彼からしてみれば地上の楽園のような生活をしていたのである。
 けれどもしかし、安泰な日常というもは得てして壊れやすいものであった。

 通常、新一の自宅に来るには一報しろと再三言い続けてなんとかそれを了承したはずの二人の訪問は今回、久々に唐突だった。小説が少し名残惜しかったが、さすがに一人は大阪から出向いてきたのである。そんな人間を門前払いするほど彼も鬼ではなかったので、そのまま招き入れて一応とコーヒーやらを用意してソファに座り込む。
 目の前に座るのは同年齢の二人組みであるが、なかなか珍しい組み合わせでもあった。けれどなにやら雰囲気が喧々としているようにも見える。
「オメーら二人一緒なんて、何の用だよ?」
 自分用のコーヒーを口に運びながら聞けば冒頭の、自分の名前を叫ぶ音だった。


「だーっ! 服部! 邪魔すんなよ!!」
「何言うてんのや、邪魔なんはお前や!」
 あまりに白熱するその言い合いは、まるで中身が無いようで新一には何一つ汲み取ることができなかった。いくら探偵だからといわれてもこれだけでは判断材料は乏しく、何も分析できそうになかった。
「おい、だから何の用……」
「大体、工藤と俺は探偵同士なんや! パッと出のお前なんかお呼びじゃあらへんのや!」
「時期はそんな大差ねーよ! 第一、俺と名探偵は親同士からの付き合いなんだからよ」
「それは関係あらへんわ!」
 ぎゃいぎゃいと目の前の会話は、少々突っ込みどころが満載だと感じる。
 そもそもこの状況で自分のことを”名探偵”と言うのをまずはやめてほしい。そう呼ぶのは最早癖だと前に零していたが、こちらがその話題を吹っかけても白々しくも話を変えようとするくせに、その呼び方をするのは如何なものか。もう前のように追ったり追われたりの関係は無くなったにしろ、こんなものでは正体が容易にばれてしまうじゃないかとも思う。このメンバーではもう誰も気にしないことは言え、だ。

 こうして工藤新一は自分中心の喧騒をぼんやりと眺めやっていた。
 元々彼は別段気が長いわけではない。むしろカッとなりやすい方だと隣の家に住む人々に再三注意されていたのだ。けれど普通の日常生活を手に入れるためにある程度は穏便になったり、冷静になったりしていると自負はしている。が、さすがにこう長い間耳元で騒がれたとあっては彼でなくとも苛々は募るものだ。何しろ片やマジシャンを目指し舞台慣れしている人物であり、片や大阪人でそれはこちらが呆れるほどに行動的で社交的かつ元気すぎる男だ。当然二人の声はどんどん大きくなる。
 いっそのことさっきまで読んでいた小説でも読んでやろうかとも思ったけれど、流石にこのような喧騒では集中できるものもできないだろう。そう考えながら腕時計に目をやると十分を過ぎていた。完全に飲み終えたコーヒーカップをカチャリと机に置いて思い切り息を吸う。

「あーもう、うっせぇ! 二人で喧嘩するんならどっかでやってこいバーロ!」

 いい加減限界値に達した彼は、ぴしゃりとこちらも負けないくらいの大声で一括すれば、やっと二人は止まって黙り込んだ。服部はともかく、黒羽とこうして喋るようになったのはつい最近なのだ。もちろん、あの白服で飛び回っていたときも換算すれば結構前といってもいいのだが。それでも服部とは本当に最近に知り合ったらしく黒羽も服部も人懐っこい性格をしているせいか別段何事もなく仲良くなったのに。仲がいい喧嘩とは言い難い、言い争いは始めて見る。
 二人は一度互いを見合わせてこちらに向き直った。
「ったく、勝手に家に来て勝手に騒いで、まずは用件を言えってんだ」
 はぁ、と先ほど吸った息を全部吐き出すようにため息をついて、うるさそうな目線を投げかける。流石に自分たちに原因があるのだと悟ったらしく二人は小さくばつの悪そうな表情をした。
「いやぁ、悪い悪い。用件な、用件は」
「そうそう、用件は」
 口々にでた言葉はぶつ切りになって、二人は顔を見合わせた後に新一へと顔を見合わせた。
「「なんだっけ?」」
「……はぁ?」

 ある意味一番予想していなかった返答に空気が固まった気がした。訪問してきた二人はどこからどうみても普通の男子高校生なのだが、それはあくまで見かけ上であり、中身はよく言う普通とはかけ離れているのである。
 測定数値的に聊か謎が残るほどの値を叩き出すIQを持つ男と、関西で代表とされる探偵。頭の造りは普通とは言いがたく、また知識量もそれとは大きくかけ離れていた。尤もそれは彼らを迎え入れた新一自身にもいえることだが、それは横において置くとして、その二人が本筋を忘れるなんて世も末だ。
 困惑と憤りと純粋な疑問をかき混ぜたような表情をしている東の名探偵をよそに、二人はなんとかその本筋を思い出そうと会話を始める。
「……あれ? えっと、まず俺が服部と偶然会って」
「ほんで、久しぶりやなー言うて、せっかくやから飯でも食おかって話になって」
「あー、そうそう。んで、飯食ってたら、ちょうどなんかの雑誌の表紙に工藤の名前見つけて」
「せやせや、面白半分にそれを見たら、お前のインタビューが載っててん」
「あ? 最近そんなのやった覚えねーけど」
 さすがに黒の組織の事件以来、慎重さを覚えるべきだと感じて、前のようにほいほいとメディアに出ることはなくなったはずだ。とは言いつつも根っからの探偵気質は未だ健在で、というか今までの功績やら情報網やらでむしろそれに関しては悪化しているといっても過言ではないが、ともかくニュースの中の一コマや新聞記事以外は極力出ないようにしているのだけれど。
「ちゃうちゃう、その店えっらい昔の雑誌ばっかりでなー、ちっさなる前のやっちゃねん」
 新一の疑問に気づいたらしく服部は説明を加えると、黒羽は便乗して続けた。
「それでその雑誌を見てたら喧嘩になったんだよ」
「は、なんで? それだったらオメー等と知り合う前なんだから、問題なんてねーだろ」
 その一言がきっかけだったらしい、それだ!とこれまた最大音量で思い出したことを告げるものだから、頭に恐ろしく頭に響いた。
「おい、本っ気でウルセーんだけど……」
 ひどい頭痛だと呻る東の高校生探偵をよそに二人は今度こそ彼の家の突撃した目的を思い出したのだ。
「そうだ、そうそう、そこのインタビューに“ライバルは誰ですか?”って質問があって」
「へぇ? ……なんて答えたっけかな」
「ライバルは今の所いませんって書いてあったぜ」
 ああ、確かにそう言ったかもしれない。当時はまだ二人にも会っていなかったし、ライバルという存在にすら興味はなかった。自分よりも推理力がある父親、という存在はいたけれどライバルと称しては些か疑問が残るところだったのだろう。

「ほんで工藤、今はどうやねん」
「は、はぁ……?」 
 勢いが合わさった二人の行動は傍から見れば、新一に襲い掛かっているようにも見えるほど必死の形相だった。勢いがありすぎて若干怖い。
「だからライバル!! もちろん怪盗キッドだよな?」
「何言うてんねん! 俺に決まってるやろ!」
 なるほど、全てを理解した新一はやっと調子を取り戻し、呆れを含んだ笑みを漏らした。
「んなの、どっちでもいいじゃねーか」
 正直、新一にとっては謎を解明して真実を見つけ出すところに魅力を感じ、だからこそ探偵であることにこだわるのである。誰かと競い、それこそライバルとしてどうこう考えるのはあまり興味無かった。
 けれど。
「「よくない」」
 二人にとってはそうではないらしく、またも喧々とした会話が続けられる。
「大体服部のどこがライバルなんだよ? どう考えてもアシスタントだろー?」
「ちゃうわボケ!! 東京におるから工藤に花持たせとるだけや。お前かてライバルっちゅーのは白馬のことちゃうんか」
「あー、白馬なんて俺の敵じゃないっつーの。俺が認めた名探偵は工藤しかいないんだから、それにほら、新聞とかにもキッドキラーって書かれてたし? 世間的にはやっぱ怪盗キッドだろ」
「……オメーは正体を隠す気がねーのか?」
 恐ろしいほど堂々と発したその台詞にほとほと呆れ果てて見せても、黒羽は何も気にしていないかのように笑みを返してきただけだった。

「はっ、それはコナンとキッドの話やんか。今の黒羽は只のマジシャンなんやで、今のライバルはやっぱ俺やろ!」
「好敵手って響きはやっぱ俺と名探偵でしょ! なぁ、工藤もそう思うよな!?」
「いや、だからさ」
 お前は一体何を考えているんだ、と続けようとすると、ピリリと機械音が鳴り、訪問者二名はぴしりと止まった。
「まさか」
「おいおい、また要請かよ?」
 その音は、優雅と称していいかは定かではないが、それでも彼の平和な時間を文字通りぶち壊すコールに思えた。
 大きな事件と一言で言い表していいのか分からない程度には、軽く一般常識を飛び越えるその大事を終え、けれど警察からの要請なくなった訳では決してない。それどころか要請の回数減っただけに、難易度が反比例している。つまり、新一が応援要請に応えるということはその事件がいかに難解であるかを指し示すことになる。たとえば密室の中で行われたり、たとえば爆弾予告があったり。それはそれは周りの人が心配しやきもきさせるものなのだ。いっそ前より危険度が上がっているような気がしてならない。

 けれど携帯を開いて耳に当てる新一を見ると、彼は首を横に振った。その後「蘭」と一言言って通話ボタンを押す。
「おー、どした? 練習終わったか?」
 今は長期休みである。彼女は部活動の合宿とやらで忙しく実は今日も練習試合だったりする。
 どんな関係性であろうと、新一が一人暮らしを始めたころから蘭は工藤家にとって重要な存在である。なにしろ家主の新一本人があまり料理を得意としないのだ。よって彼女によって工藤新一の食事生活は成り立っているといっても過言ではない。最近は色々あって特に食事を用意してくれる頻度が上がり、こうして一週間近く顔を出さないのも酷く珍しいことだった。
 だからこそ更に蘭に任せきりの食生活を案じて、食事をしているのかと連絡をしてきてくれたのだ。相変わらず鋭いことだ、と新一は肩をすくめた。
「ああ、今、ちょうど黒羽と服部が来てんだ。そうだオメーら、どうせだし飯食いに行かねーか?」
 唐突に話の矛先を向けられ、少し驚いたが二人はそれぞれに肯定の言葉を口にする。時刻は夕方を過ぎ、時間的にも空腹になりかける頃だ。服部に至ってはひょっとするとそのつもりだったのかもしれない、そう考えながら話相手をすぐさま蘭へと切り替える。
「な、一緒に食うから気にすんなよ。へ? ああ、いや、彼女らは来てねーよ。おう、じゃーな」
 一段落したらしく、簡単な会話を終えて電話を切ると、ごほん、とわざとらしい咳が聞こえる。
「おーおー、空気甘いのとちゃうかー? 工藤」
「だな。じゃ、晩飯は工藤のおごりってことで」
「……なんでそうなるんだよ」
 ニヤニヤとまさに言い表せる顔の二人を新一は半目で睨んでみせた。これが追い詰められた犯罪者だったら、間違いなく後ずさらせる事ができるものだとしても、相手が相手なだけに暖簾に腕押しもいいところだった。先ほどの喧嘩から一転まるで息の合った呼吸はけれど、新一にとっては面白くないだけだ。

 勝手に訪れて、勝手に目前での大声の喧嘩を繰り広げ、挙句の果てに自分が二人に奢るなんて、そんな馬鹿馬鹿しいことは限りない。金銭的な理由ではなく常識的な理由で新一は嫌だと体言しようとして、あることを思い出した。新一は決定的証拠を見つけたときと同様の笑みを携えながら黒羽と対峙する。
「分かった。んじゃ、俺のおごりなら寿司でも食いに」
「ああああ! あーあー! 聞こえません!!」
「なんだ聞こえなかったのか? だからな、今から寿」
「うわああああ、ごめんなさいマジ勘弁して! ほら焼肉とか、中華料理とか、パスタとか色々あるだろ!? ファミレスとか手ごろでいいだろ!! うん、そうしようそこ行こう!!」
「……ホンマに苦手なんやなぁ」
 呆れを通り越していっそ哀れみを含んだ服部の物言いに新一は内心で頷いた。
 いっそのことこの弱みを知っていれば、自分がコナンであったときに何かしらの対処法の一つとして利用できたかもしれないのにと思いながら、実行に移していたかは定かではない。それ程に魚類に関して黒羽は取り乱すのだ。怪盗紳士のときの格好でそんな場面に立ち会ったとして、ある意味酷く見てみたいような、逆に居たたまれなくて絶対見たくないような微妙な気持ちである。
「服部、工藤がいじめるー」
「上目遣いでこっち見んなドアホ。気色悪うて適わんわ。ほんで男なら魚くらいでガタガタ言うなや」
「っ! だ、だからその名前を出すなっつの! 好き嫌いに男らしいとか関係ねーし!」

 そんな言い合いをしながら、ぎゃいぎゃいと会話を弾ませながら、用意されたものを片付け、黒羽と服部は立ち上がる。
「工藤、ほら行こうぜー」
「せやせや、さっさと仕度せぇへんと事件の呼び出しが来てまうかも知れへんやろ」
「うっわ、洒落になんねぇぞ。それ」
 先ほどの言い争いもすぐに切り替えて、他愛もない会話を繰り広げている二人を見ながら、新一は軽く身支度を進める。財布と携帯電話と、あとは鍵と必要最低限のそれらをポケットに入れて二人のほうへと歩き出した。
 結局ライバル云々の話はどこへ言ったのだろうか。そんな考えも新一にはあったのだが、自分がそんな話題を吹っかけた日にはまたあの大音量が戻ってきそうだったので、このまま話が流れることを心の中で小さく祈りながら工藤家から足を踏み出した。

「っていうか、男だけって何気に珍しいよなー」
「ええやん、たまには。やっかましい女もおらへんし、快適や」
「服部は本心なのか鈍感なのかわかんねーから性質悪ぃよな。あ、でも工藤は俺等だけなのは寂しい、よなぁ?」
「……黒羽、オメーには言われたくねぇ。つーかニヤニヤしながらこっち向くな」
 いっそライバルが誰とかいう会話を復活させてやろうかと思いながら、新一は黒羽を睨む。このメンバーとその幼馴染についての会話はあまり分が良いものではなかった。女の子じゃあるまいし、恋愛話で何時間も続けられるはずもないが、それでもからかわれるのは数分だって勘弁してほしい。

 そろそろ日が沈む中で三者三様の会話が繰り広げられていく。
 米花町の閑静な住宅街のそばで繰り広げられる、まるで身にならない会話をしているのは、紛れもなく今後と言わず現在進行形で社会に多大な影響を与えている、もしくは与えていた者達のものだったけれど。
 結局、事件でも起きなければやはり彼らは高校生であると思わせるもので、なんだかんだと彼らは心底普通の高校生なのだった。





「んで、ライバルは?」
「覚えてたのかよ」
「当たり前や」
「……んー……あ、園子かな」
「「……は!?」」

尋常一様な彼等