重くて一般家庭のそれとはかけ離れた扉を開ければ、もう随分と慣れた広いリビングへと足を踏み入れる。いつもなら自分しか居ないはずのこの家に明かりがついているのを見つけて、はてどうしたことかと首を傾げながらも足を進めれば、上質なソファに無遠慮に寝そべるようにしていた人物はこちらを見つめるように顔を見上げた。
「おかえり、昴さん」
「……ただいま」
どうやら本を読んでいたらしい彼はそれを丁寧に横に置いてこちらを伺う。
「なんとかなった、みたいだね」
「ああ。まさに君の思惑通りといったところだ」
「そんなことないよ」
少し笑った顔がそれでも少し眠そうなものに思えて、やはりボウヤかとこちらも苦笑する。相当疲れたのだろう、彼はどう見たって見た目は小学生なのだ。
「その格好で帰ってきたの?」
「念を入れただけさ」
くすりと笑えば笑みを返された。今日はとても大変な一日のようだった。その渦中にあった彼は伸びを一度して、帰り支度を始めた。綺麗に揃えられた本棚から持ってきたらしいのは、通常小学一年生では題名すら読めないだろう小説だ。それを片付けた彼は思い出したかのように言葉を続けた。
「明日、か、有希子おばさんが来るって」
「最終テストというところかな。ジョディたちも呼ぶから君もくるといい」
鏡を見ても慣れてきたこの顔を少しつねって見せると、彼はこちらをじっと見つめる。
それは真っ直ぐという言葉を体現したような眼光なのだとよく思う。
「……よかったね、皆怪我しなくて」
安心するかのようなその声色はまるで労るようで、また同時に両親が無事帰ってきたことを安堵するかのような表情だった。けれど知っている、この顔はただの安心感からくるものではないということ。彼自身が自ら計画を立てて彼が思う皆を怪我から回避するべき道筋を作ったのだから。
それは自分のような場所で生きる者にとってはまさしく子供じみた理想論で生温いものだ。それでいて随分甘く易しい彼らしいとも思う。けれどそれらを実行させるほどの能力を持ち合わせていることももう知っていた。
彼は、例えば誰かを犠牲にしてまで組織を潰す覚悟はないだろう。けれどきっと、彼自身以外の全てを守る覚悟をしている。
その覚悟は時として我々よりも末恐ろしいものなのかもしれないと思えた。
僕もう帰るね、と彼はまるでただの小学生のように言うので首を傾げる。
「ボウヤ、こんな時間まで起きていたんだ。明日の学校は大丈夫か?」
変声機を通さない自らの声で問えば、少し目を丸くさせたあとに笑って頷いた。
「今日はゆっくり寝られそうだしね。おやすみ、赤井さん」
そのまま夜の挨拶を返してきた彼は一度も振り返らずこの場を後にしたのだった。
姿と思考の隔たりを見る。子供は若さゆえに自由で不自由で時として残酷だ。彼の片鱗がそれとは違っていてもやはり彼は若い。たとえ何者であったとしても。
――敵にしたくない男の一人
降矢零に放った言葉を思い出す。あのボウヤもその一人だ。その恐ろしいまでの明瞭な頭脳は確実に我々の手助けとなっている。彼の目的の先と自分の目的の先が交わっていることを少し安堵しながらリビングを後にした。
ああ、確かに明日はゆっくりと訪れてくれそうだ。