目的のそれではないと分かりきっていながらその挑戦状を受け取ったのは、終わりに向けた挨拶代わりの様なものだった。
 尤も、その挑戦状を出して来た人物もそんな事が怪盗の背景にあるなんて知りもしなかっただろう。別れを知らせたそのとき、怪盗を追いかけてくる人たちの顔はひどく呆けた顔をしていた。


 予告状を出してショーを始めるのだとするならば、逆もまた然りだ。
 だから今日は、さよなら、の意味を込めた犯行予告だった。


「……だったってのに、なぁ」

 はぁ、と軽く呼吸の中に吐く動作だけを少々強めにした音に、言葉を重ねる。
 閉幕の合図を知らせて別れを言いたかったのは、いつも躍起になって追って来る警部であり、ちょっとばかりしつこい探偵であり、そうして怪盗が唯一認めた名探偵だったというのに。
 最後の彼だけは、結局現れもしなかった。

 鈴木財閥から今しがた盗った宝石はいつもの事ながら素晴らしく、我ながらよくも似合った宝石だった。いっそこれを持っていれば、その彼から何かしらのアクションがあるかもしれないと、あくまで泡沫程度の気持ちが浮かんだ。
 もちろんこれ以上のリスクと犯罪行為を背負うつもりもなかったので思考をすぐに中断する。けれど怪盗が罪を犯す立場なら、彼は罪を解明する立場なのだろうけれど、それでも単純に対極的で世間一般的に言われる相反する存在ではないと、何故か己はそう信じ込んでいるのだ。
 結局、手にした宝石をもはや癖のように月光に翳しただけで、くすりと笑みをこぼした。
 やはり当然赤くは光らなかった。
 きっと二度と行うことのないこの行為は習慣付いてしまっていたが、それも今回で終わりを告げるのだ。感慨深いような気持ちもありながら、用意しておいた返品の紙を添えて適当な場所を見つけて宝石を置いて一人ごちる。結局今回の仕事に関して、一番の目的は達成できてはいなかった。

「さて、これからどうすっかなー」
「終わったんだからさっさと帰るに決まってんだろ。ついに只の泥棒に成り下がったのか」

 独り言のつもりが、返答が返って来て思わず振り返ると、半目で睨み付けてくる顔が見えた。
「なんだよ、幽霊でも見たような顔しやがって」
「そりゃ、まぁ……」
 なにしろ目の前には今まで誰もいなかったはずで、そこにとある人物が立っていたのだ。その人物の背格好からして時間帯と状況は酷く不似合いだったが、それでも相手が嘗めてかかってはいけない人物であることくらい、怪盗は分かりきっていた。
 夜、仕事を終えた人々が帰路に立つ時間帯にビルの屋上に平然と立っているのは、先程から考えていた名探偵に他ならなかった。
「今日は来ないかと思って、……一度も姿が見えなかったもので」
 口調が安定しない程度には混乱していたが、表情には表さないようにして名探偵の方へと身体ごと振り返る。
 彼がいるならこんな簡単な結果になるはずもない。いつもならこの数倍、それこそこちらが傷を作りかねないほど面倒なことになっていたはずなのに。

「ああ、屋上に来たのは偶然、別件だ。オメーが来るって知ったのはここに来てからだからな」
「鈴木財閥のじーさんからの挑戦状なのにか? 珍しいこともあるもんだな」
 鈴木財閥の怪盗キッドへの挑戦状とくれば、その財閥のお嬢様の親友と、その親である毛利探偵が当然関わってくるのは常のことだ。そして毛利探偵が出てくるということは、そこに小さな探偵が現れることを意味する。怪盗にとっては他の事よりもそのことのみが重要であり、またそれ以外は大した障害にはならないといっても過言ではない。
 怪盗もそれを知っているからこそ、最後の舞台を鈴木財閥の挑戦状を受けるという形にしたのだけれど。

「今日は園子と会ってねーからな」
「それで偶然見つけた俺を捕まえないのか? 名探偵」
 怪盗がひらひらと手をひらめかせると、嫌そうに片眉が上がったのが見えた。
「窃盗は現行犯が基本だって知ってんだろ。返却終えて証拠もないオメーをどうやって捕まえろっつーんだ。そもそも今回は犯行現場見てねーし」
 それでもサッカーボールを当てて欲しいなら当ててやる、だなんて付け足して来たので、丁重にお断りをしたのだけれど。
「ま、名探偵に会っておきたかったような気もしたから丁度良かった」
「は? 怪盗のくせになに言ってんだ」
「ショーはもうすぐ終わるんでね。俺もずっとキッドのままって訳にもいかないしな」
「…………」

 何か思うところがあったのだろうか、黙り込んで意図を測っている名探偵はすぐにそれを推し量ったらしく、こちらに向き直った。
「じゃ無理矢理でも今捕まえとけば良かったぜ。キッドの格好してるからちょっとは考慮してくれるかもしれねーしな。……結局、オメーの勝ちかよ?」
「嬉しいこと言ってくれるね。でも、名探偵がいる時に俺が守備良くお宝を頂いたことなんてなかった気がするんだがな、誰かさんが邪魔してくれたおかげでな……、ってことでここは引き分けだろ」
「……それはそれで微妙」
 少しばかり悔しそうな表情をみせた名探偵に苦笑しながら月を見つめる。
 着慣れたと感じる程度には、肌に馴染んだ白い衣装をはためかせ、けれどこれを着る時はもうそうない。
 目的を見つけた今、きっと彼とこの衣装で、怪盗キッドとして会う事はないのだと確信できた。

「願わくは、次に会い見える時は初めて出会ったときの姿になっている事を祈るよ」

 満月を背景に加え手を胸に置いて言う。きっと観客がいればそれはショーの終わりにマジシャンが挨拶するときのそれと似通っているのだろう、そこに己ならではの背景を加えてみせる。月の光は己の表情を巧く隠してくれるものだ。
 神秘的とまではいかずとも、それでも丁寧に挨拶を送ってみせれば、目の前の少年はぼんやりとそれを見て言葉を放つ。

 それはそれは、予想だにしない一言を。

「初めてって、ブラックスターの時のことだろ? この姿じゃねーか」
「……はい?」
「だってオメーの名前知ったのあん時が初めだぜ? ああ、そういえば本当の姿で出会った事ねーんだな。オメーはよく俺に化けてたけ、ど、……って、なんだよ。その顔は」
「……いやあの、名探偵、それマジで言ってる?」
「あ?」
 何もふざけてなどいないと言う顔で、彼は不思議そうに顔を歪めた。
 どうやら本気らしかった。
(……オイオイ、マジかよ)
 先ほどの殊勝な雰囲気は何処へやら、そのまま項垂れるように頭を下げようとして、既の所で押し留まる。流石に怪盗紳士の姿でそんなことをしたら父親の墓前に何と詫びればいいのか。
 どうにか落ち着こうと、ポーカーフェイス、ポーカーフェイスと内心で呪文のように唱えてみる。
「ああ、オメーは新聞かなんかで俺のこと知ってたのか」
 その間に見当違いな結論を導き出したらしい名探偵は、それきり黙ってしまった怪盗を訝しげに見つめていたが、不意に腕時計を見て、ヤベ、と小さな声をあげた。
 麻酔銃を打ち込めるくせに時計としての機能も備わっているそれを、怪盗も見つめていると名探偵はすぐに身を翻す。

「って、お、おい。目の前の怪盗置いて行くのか? 名探偵ともあろう人物が?」
「茶化してんのか。勝手に屋上上がってきちまったしな。夜の暗いビルを探させたら怖がらせるだけじゃねーか。事件の収穫もなかったし」
 そう続いた台詞の主語は、どうやらあの幼馴染にかかっているのだと推測して、なにより怪盗と対峙したというのに収穫がなかった、とのたまった名探偵に複雑な気分にさせられる。
 いつもなら幼馴染の声色なんてものを使ったりすることもあるのだが、今回ばかりは何となくからかう気分になれず、そう、とだけ返す。
「……なんかムカつく」
 意思とは裏腹に勝手に出てきてしまったその言葉に、怪盗自身がぎょっとしていると、対峙した彼は意味が分からないと眉間のしわを深めただけったけれど。
「ま、最後くらい逃げられる側の気分でも味わうんだな。じゃーな、気障なコソ泥さん。こっちも二度と会わない様に祈ってるぜ」
 狡猾な笑みを携えながらも、いとも簡単にその場から姿を消した名探偵を呆然と見送りながら、小さく息を吐いた。

 総てを終えて只の黒羽快斗になるのには、ひとつ大きな山場があるけれど、もうそれ程時間はかかりそうもなかった。今度こそ命の保証なんて今まで以上にないのだけれど。
 それでも負ける気も本懐を遂げられないなんて考えたこともない。だからこそさよならを告げに来たというのに。

(ヘリに乗りたいって言ってきたのをいいことに、ついでに二課の現場に連れて来た警察も警察だけど、いきなり陣頭指揮とった名探偵も名探偵だよな)
 思い出すのはもういつのことだったか。未だに自分が生活する街の中で鳴り響く時計台を舞台としたあの時。確かに直接会ってはいなかったけれど。
(挙句、発砲しておきながら相手が誰だか知らなかったって? いくら相手が犯罪者だからって、俺はあの時どんだけアブねー思いをしたかつーか、時計台を盗むとか言って実行に移せるやつが俺以外にいるとか思ってるのかよ)

 そもそもあの時計台に残した暗号だって、複雑怪奇な連続殺人やら、密室のトリックやら、死期を悟った人物の文章やら、死に直面した人物が遺したダイイングメッセージやら、そんな暗号じみたものを至極得意とするあの名探偵なら簡単に解けているはずだ。
 あそこまで危ない状況に陥ったのはあの時は初めてだったから、当然今後を危惧して、潜入や盗聴をしてあのジョーカーが誰かと調べたのは犯行後すぐのことだった。手に入れた情報を総合しても、紅子曰く「光の魔人」が名探偵だということは火をみるより明らかだ。
 怪盗キッドを追い詰めた事件ということで警察内では若干話題になっていたし、裏付けだって取れているはずなのに、当の本人はそんなことすら忘れているというのだろうか。
(本当、最後の最期まで酷い奴)
 白馬ほどじゃなくても、こうして何回か会って追ったり追われたり、増して多少くらい協力したこともあるというのに。

「くっそー……見てろよ名探偵」
 奇術師としての最期は、大きな山場をラストステージとして決めていたつもりだったのだけれど。

(こうなったら何が何でも親父とパンドラのことを終わらせて、黒羽快斗として堂々と名探偵と直面してやる。そのころには名探偵も工藤新一に戻ってるだろうし、そのときに会っても名探偵が気付くまで絶対教えてやるもんか。こっちには白馬を言いくるめてきた実績だってあるし、すぐバレるなんてないだろ。……多分)
 傍から見ればそれはただの八つ当たりであるのだが、彼は強いような弱いような、曖昧な意思を決めて心底真面目に計画を立て始めた。

 半ば挑戦状のような言葉を口にしながら、先ほど置いた宝石に近づく。奇術師よりもマジシャンを先に目指す彼にとっては花言葉同様、宝石が持つ言葉にも詳しかった。六月の誕生石はとことん月下の奇術師と謳われた自分に似つかわしい。またそれに加え中々にして意味深な言葉を併せ持つ宝石を少しばかり見つめ、否、睨み付けてそれを白い布で包み込んだ。そうして、ぽん、と音を鳴らし怪盗はその宝石の隣に都忘れを添えた。
 花言葉は、

「……どーせ、名探偵は夢もへったくれもねー現実主義者だし、俺にも興味がないみたいだから、知りも気付きもしねーだろうけどな」

 誰一人残ってはいない米花町のひっそりとしたビルの屋上に、ハンググライダーを広げた怪盗が最期に放ったのは小さな舌打ち。
 それはとても紳士には程遠いものであったが、その後に飛び去る直前の彼はまさに怪盗そのもの、何かを企み始めた酷く嬉しそうな表情をしていた。





(しばしの別れ、また会う日まで)

月長石