朝早くから目を覚ましたのは、夜更かしをして推理小説を読み耽けていたせいではなく、ただ早く寝たから早く起きただけだった。普段なら二度寝を決め込む新一もはっきり目が覚めてそれをする気にもならない。だって、何時もよりも気分が良い理由は明確だ。
 徐に起き出したまま、のそりと身支度をしてリビングへ下りてそのままテレビを付ける。
「……夢じゃねーよな」
 呟く台詞は些か彼らしくは無くまた不可解ではあったが、新一はテレビに映し出された画面を見て笑みを作った。
 時差を伴うそれは昨日行われたサッカーのダイジェストだった。白熱した試合は何度見ても楽しい。それこそ推理小説を読む時のような真剣さ具合はよくよく蘭や周りの者に呆れられる。
 けれど経験者であった新一はそれに飽き足らず自らボールを蹴りたくなるのは、致し方ないことだった。
 今日も例に漏れず、新一は久々にジャージに袖を通し夜明け近くの街へと歩き出した。


 外の冷たい空気は素肌に指すような痛みを向けるけれどジョギングにはちょうどいい。身体を温める程度に足を動かすと公園へと足を進めた。
 公園にはかつてのようにあの人がいる訳もなく、けれどそれは分かり切っていたのであまり気にせずに用意していたサッカーボールを取り出す。
「……よし」
 前よりも地面からの距離が伸びたことを確認しながら、屈み込んでボールを丁寧に置く。感覚はまだあの時のように戻ってはいないだろうけれどと思いながら、まずは肩慣らしにリフティングだとボールを拾い上げる。
「いち、に、さん、っ、と」
 数えながらポンポンと舞うボールを見て新一は笑みが零れる。試合を見るのは楽しいけれど、やはり直接触るのはもっと楽しい。
「じゅうご、じゅうろく」
「……」
 高く舞ったボールはさらに速度と方向を変えて動いていたが、ふと視線を感じてそちらに向き直る。
 元々誰かの気配、特に殺意にはよく気付くタイプだったけれど、今回はリフティングに没頭し過ぎて少し遅れてしまったと内心で思っていたがその気配の元を見つけて目を見開いた。
「ーー!?」
「……」
 あまりの驚きにボールは予想外の方向に飛んでいき、気配の元、つまりは他者の所へと飛んでいった。
「え、わ、す、すみませ」
「……」
「……あの、」
 憮然としながらボールを受け取ったのはつい昨日、テレビに写っていた人物だったからだ。

「真田さんですよね?」

 こちらをなぜか苛立っているように見えるがとにかく凝視しているのは、そう、真田貴大その人だ。


 明らかにこちらを見てくるその顔は威嚇に近い。果たして何かしただろうかと思っていると彼は受け止めたボールで先程の新一の様にリフティングを始めた。
「……こないな時間に何やってんねん」
「え? あーっと、昨日の試合を見たらなんか身体動かしたくなったんです」
 少し返答が遅かったのは、彼の動きがとても綺麗だったからだ。やはりプロ、新一がいくら美味いと言われていても比べようもないように思えた。
「ふぅーん……お前、工藤新一やろ?」
「は、はい。ってあれ? 俺名乗りましたっけ?」
「ようけ新聞に載ってるやろ、自分」
 何言ってんのやと言う真田に新一は首を傾げる。最近はあまり大々的なことはしていないはずだった。
「それに、……お前やろ。国立競技場の爆弾止めたん」
「え」
 なんとも直球な台詞に新一は言葉を詰まらせた。

「えーっと、真田さん?」
 色々と飛び抜けた話に動揺していると不貞腐れた様に真田は続ける。
「別に誰かに言うつもりちゃうしええやん。比護さんとヒデさんも知ってんのやし、俺かて知る権利あるとちゃう?」
「や、そもそもなんで比護さん達もそうだと思って」
「爆弾の停止はゴールポストの真ん中に当てんといかんかったやろ。そないな芸当できて、犯人逮捕できる奴なんて限られてるやん。サッカーに関しては比護さん、探偵としてはヒデさんが同時にお前の名前出したんや。ちゃうんか?」
「えっと、まぁ……間接的には関わってましたよ」
 曖昧な言い方だけれど事実を述べると真田は息を吐いた。
 本当だったら目の前に、しかも昨日新一を興奮させた試合をしていた真田貴大がいるということにもっと感情を出したいのだが、如何せん彼はなんとも複雑そうな顔をしたのでふと冷静に疑問が残る。
「真田さん、もしかしてその為に此処に?」
「アホ。んな暇とちゃうわ。昨日は国立やったやろ、思い出したくあらへん事思い出してしもてイライラしとったから身体動かして忘れよう思たけどお前おるし」
「……すみません」
 なんとも恐縮しながら新一は頭を下げる。
 そうして少し前の事件を思い出した。あの時蘭から連絡を受けなければ一体どうなっていたか。
 けれど当然、あの各地に仕掛けられた爆弾を止めたのはなにも自分の成果ではない。
「……ありがとうございました。あの時、皆さんが協力してくれなかったら」
 噛みしめるように告げれば、真田は顔を背ける。
「……俺は、俺は関係ない、なかったんやろ」
 吐き捨てる言葉に理解出来ず思わず首を傾げた。意味が分からない。
「なにがです?」
「は? だ、だから、俺のゴールは、」
 返された疑問文のようなそれにやっと理解して笑うのは、彼がとても拗ねたように見えたからだ。まるで、自分だけ蚊帳の外のような、そんなことあり得ないのに。
「貴方は何度もぶつけてくれたじゃないですか。俺、あの試合見させてもらってましたよ。本当凄かったです。ああ、きっとこの人がいるからあの場所は大丈夫だと思えて推理に集中できました。流石」
 一言切って真田に向けるのは彼に分かって欲しかったからだ。
 あの状況下で国立競技場だけ爆弾の起動場所が違ったなんて誰も予想できなったはずだ。予想できたとすれば事件にかかわって推理していた自分自身であり、見破るべきだったのも新一自身だと思っている。だからこそ彼は協力してくれた解決に導いた立役者でありそれ以下であるどころか関係無いはずもないのに。
「流石、スーパーサブですね。やっぱり爆弾を止めたのは皆さんの、真田さんのおかげです」
 心底本気の言葉を告げれば困った顔が返る。
「……さよけ。なぁ、工藤」
「はい?」
「こない時間にぼけっとしとるんやったら暇なんやろ? ちょい付き合えや」
 先程の空気が少し和らいだかと思えば、そのあまりに唐突な誘いに困惑する。付き合うといってもまだ早朝で、どこもやってはいないのに。
「はぁ」
「とりあえず二人でウォーミングアップな」
「え!? サッカーするんですか?」
 何処に行くのだろうと考えていたから思わず身を乗り出すように聞き返せば、呆れた顔が新一を見ている。
「サッカーボール持ってんのやから当たり前やっちゅうに。それに、工藤新一は凄いって言うとる比護さんが正しいか見てみたいんや」
「え」
 なんだかとてつもなく過大評価をされている気がするのだが、そう笑う真田に新一は苦笑する。




 前の時よりも幾分か厳しいのは自分が小学生という存在ではなくなったからだろうか。それでも身体いっぱい動かして、汗も適度にかいてなんとも健康的だ。
「もうこない時間か」
 そんな矢先にそう告げたのは公園の時計を見た真田からだけれど、気にもしていなかった新一は声をあげる。
「えっ、やべっ!」
「は? どないしたんなんか用事なん」
 不思議そうな顔で言われて、新一は少し困ったような笑みを作る。
「用事っていうか、学校ですけど」
 その単語を拾うなり真田は一度目を瞬いて深い溜息を吐く。
「せやったなぁ。比護さんが言っとった意味がよう分かったわ」
 そう言われてもこちらはちっとも分からない。なんなのだろうかと困惑していると、真田さんはええから、と手をひらひらしている。
「ええから行けや。ああ……でも残念やな、折角のオフやから比護さん達との飯にでも連れて行こうかと思っとったのに」
「えっ」
 それはとても惜しいことだ。間の抜けた顔を真田に向ける。あと一息で学校をサボろうかと思ってしまったが、何しろ今までの休み方が半端ではなかったのだ。流石に事件でも事故でもないのに休む訳にもいかない。特にこれがバレた日には蘭から大目玉を食らうのは間違いない。別の意味で灰原にも非難されそうである。二人がかりでこられたら勝つ要素なんてあるわけがなかった。
 小さく下唇を噛みながら下を向く、拗ねているのはきっと誰にでも伝わるだろう。 「まぁ、しゃあないなぁ。……これはこれで比護さんを悔しがらせること出来るかも知れへんし」
 にやにやと人の悪い笑みを浮かべている真田によく分からないと新一は首を傾げる。分かるのは自分をいいオモチャにされていることくらいだ。
「あの真田さん。ありがとうございました」
「かまへんって。俺も身体動かしたかったんや」
 二つの意味はどうやら一つしか伝わらなかったらしいけれど、追求せずに言葉を付け足す。
「あと、おめでとうございます」
 本当は顔を見かけた時に言いたかった言葉を投げかければ、一瞬止まって小さく笑った。それを見届けて新一が背を向けた瞬間に真田は呼び止める。
「また良かったら誘ったるさかい、連絡先は急いでるみたいやし……まぁええわ、また今度で」
「えっ、あ、はい!」
「あと、おめでとうはまだ早いとちゃうか? まだまだこれからなんやで」
 付け足されるように言われた言葉と、自信満々の表情を見つめて新一は目を見開く。先ほどとは違うきっとそれこそ真田らしい笑顔なのだろうと思うほど彼に似合っていた。

 先を見つめてもっと高みを目指しているのは同じ男としてやはり格好良かった。もちろん、彼の見つめる先が自分も多少なりとも夢見た、関わろうとした場所であるから余計に。
「はい、俺応援してます!」
「おー」
 高く上げた手の先を見て、今度こそ身を翻して新一は走り出す。プロと少しでも練習が出来た奇跡に顔が緩むのを隠すのに今日は必死になりそうだと空の青色とあの服の色を見て、今日は何もなかったらサッカー部にお邪魔しようかなんて考えながら公園を後にした。




「あーもしもし、比護さん? オフ暇でしたらヒデさんと一緒にちょい俺に付き合いません? ……見たい高校あるんすけど」

Additional Time