夢を見た。
 お伽話のような物語のような夢を見た。
 まるでお姫様になるようなそんな幸せな夢を。


 ふぁ、と出てしまった欠伸を慌てて右手で隠しながら見慣れた道を、慣れた道順を何も考えずに歩いていると、ポンと不意に肩を叩かれる。
「珍しいですね、寝てないんですか?」
「え? あ! 光彦君」
 おはようございます、と続けられた挨拶を同じように返す。小学校からずっとだからこんな朝はもう慣れ親しんだものだった。隣に並んでゆっくりと歩く、約束はしていないからこうして一緒に登校することは少し珍しい。
「そういえば元太君は?」
「十分待っても来なかったので先に来たんですよ。元太君をずっと待っていると僕まで遅刻しちゃいますから」
 疲れ切ったように息を吐いたのを見届けて、いつも遅刻しがちな元太君も相変わらずだと、思わず笑ってしまう。
「それで歩美ちゃんは? いつももうちょっと早く登校するじゃないですか」
「うん、夢をね」
「夢?」
 首を傾げて問い掛けてくる光彦君に頷きながら続きを話す。
「夢を見てその続きが見たくなって二度寝しちゃって。寝すぎちゃったかなぁ」
 えへへ、と頭を掻くと光彦君はへぇ、と珍しそうに笑った。
「どんな夢ですか?」
「んー……今日みたいに学校にいる、夢、かな」
「え?」
「高校生になった、皆がいる夢」
 もしかして未来かなぁと言うと、光彦君は不思議そうに首を傾げた。
「それがそんなに良い夢なんですか?」
「だって未来が見えたみたいだったんだもん、帝丹高校の服を着てたの。二人とも格好よかったよ」
 その姿を思い出して告げると、光彦君は少し顔を背けて笑った。
「そ、そうですか。でも帝丹高校ならエスカレートですし、ありえそうですね」
 そんな一言がとても嬉しくて大きく頷くと、タイミングを見計らったように、並木道の桜が舞って思わず見惚れる。


 ――皆一緒だったよ。元太君も光彦君も皆も、それに。

 まるで現実みたいな夢で、普通に高校生になった夢。
 光彦君は頭が良さそうで、
 元太君はもっと大きくなっていて、
 少し髪がのびた私がいた。

 そしてなにより、


 思い出しただけで、笑みが洩れるくらい幸せだった。
 だってあの中の私は一緒にいれて、会話だって出来て、腕を掴むことだって出来ていた。

(――夢、だもんね)

 小学一年生の時に現れた突然の転校生は普通とは違う不思議な雰囲気を持っていた。
 勉強は出来るし、サッカーが上手くて、先生も知らないようなことも知っていて、頼りになって、いつでもどんな時だって助けてくれる人。
 欠点といえば音痴なことくらいな、そんな人。
 そしてまた唐突に転校してしまった人。

 別れ際は少し呆気なかったけど二度と会えないことくらい、何となく分かっていた。理由は分からないし、誰も口にはしなかったけど皆分かっていた。
 一年間も一緒にいなかったのに、あの時間はあまりに濃い。
 この間の小学校卒業のときに皆で思い出を上げてみたら、殆ど一年生の頃の話だったのがなんだか可笑しかったのを覚えている。

(――夢で良かった、よね)

 羨ましい夢だった。
 現実になってほしい夢だった。
 でも。

(無理な話だもん。叶ったら困る夢だもん)

 幸せなのは私にとってだけで、なによりきっと彼が幸せになれない夢だから。
 現実になったらいけない夢だ。

(分かってたんだ。元太君も光彦君も気付いてないみたいけど。私、分かってるよ)

 すぐにじゃないけれど、決定打は打てないけれど、それでもじわりじわりと理解していく。

 だってずっと近くで見てたから。
 他が目にいかないくらいにその人だけを見てたから。
 大きくなった姿を今更夢で見なくても分かってた。

 お伽話の夢は、夢だから幸せいっぱいで、あの場面だけだから幸せなんだろう。現実になったら私以外の、他の人を傷付けることくらい簡単に想像できる。
 私以外どうだっていいなんて思えるほどがんじがらめの想いじゃない。懐かしいと思えるものなのだから。夢だと分かっていたから、続きが見たかっただけだった。


「あれ?」
 桜の向こうにある、遠くの道に見知った顔を見た気がした。本当にその人かどうかは分からないけれど、あの後ろ姿が振り返った時の笑顔はすぐに思い出せる。

(あの時の蘭お姉さん嬉しそうだったなぁ)

 いつも子供の私達に付き合ってくれて笑顔を絶やさない、憧れちゃうくらいに優しいお姉さんが、それでも今まで見たことの無いような、女の子の私ですら見惚れる笑顔を見せたのは、やっと戻ってきた幼馴染のお兄さんの隣だった。
 この街どころか、東京に住んでたら一度くらい聞いたことのあるだろう名探偵が、蘭お姉さんがずっと待ってた人が、帰ってきたのはもう五年も前のこと。
 あんなふうになりたい、と自分の理想の高さにちょっと困ってしまうほど幸せそうだった。

「どうしたんですか?」
「ううん。今蘭お姉さんがいた気がしたから――あ、元太君っ」
 指を指した方向の近くで元太君を見つけて手を振ると、気付いたらしくこちらに走って来た。私に向かって挨拶を返してくれたけれど、すぐに光彦君に詰め寄っていく。
「おいっ光彦! なんで先行っちまうんだよ!」
「僕は十分待ちましたよ。大体元太君が昨日十分待って来なかったら先に行ってて良いって言ったじゃないですか」
「だからって歩美と一緒なんて聞いてねーぞ!」
「偶然ですよ! 元太君が早く来れたら一緒に行けたんじゃないですか」
 いつもの喧嘩が始まる。いつもなら仲裁に入るところだけど今日はなんとなく、そんな二人を見たくなった。

(そういえば彼はムキになったとしても、同級生を殴ったりなんてしなかったな。大人びてたな)

 けれど今となっては、それはとても当たり前のこと。
 彼は、だって。


 思い出につかりそうになっていると、チャイムが鳴った。タイミングがいいなぁ、と思いながら喧嘩を続けていた二人の横を抜けて、振り向いて声をかける。
「もうっ二人とも! 喧嘩してるからチャイム鳴っちゃったじゃない! 先行っちゃうからね!」
「あ、待ってくださいよ!」
「おい、歩美!」
 そんな会話を続けながら走って一緒に中学の門をくぐる。


 彼がいないこの学校は、それこそ当たり前に過ぎていく。
 メガネをかけていてもいなくても、此処にはもう彼は現れない。
 それは悲しくも切なくも無い当たり前の風景。

 夢は夢のまま。けれど今は今で楽しいから。
 あなたのこと忘れていないけど、でもあなたが居ないことにもう納得して、私達は私達の今を生きてる。無理矢理話の話題に出す訳でも、出さない訳でも無い。あの時を大切な思い出にしてるよ。
 あの小学一年生の間がきっと本当に夢のようだったんだって、もう分かってるから。
 だから今日の夢は夢の中で良かったんだ。





 だけどね。

 あの時の私は幼かったけど、想いはちゃんとあったんだよ。
 私はちゃんとあなたが好きだった。
 確かにあれは初恋だったんだよ。

 ――コナン君。

褪める夢