幾度となく聞かされて聞き続けたその人のイメージは黒に近い、濃い青色だった。


 辺りを見渡せるほどの広さしかない小さな町で、レックスは妹を横に従えながら、木陰でのんびりと越を下ろしていた。風も気持ちいい程度に吹いている為か、となりではボロンゴが背を丸めてすやすやと寝ている。
 けれどそんなうつらうつらしてしまいそうな午後の陽気もレックスにとっては、ここ最近の考え事のせいで暗い気分へと自らを引き込んでいってしまう。
「なぁ、タバサ」
「なぁに? どうしたのお兄ちゃん」
 ボロンゴの背をゆっくりとさすりながらこちらに振り向いた妹に、レックスは俯きながら最近の悩みの種を漏らした。
「お父さんってさ、あんまり喋らないね」
 それこそレックスとタバサにとっては初めてと言っていいほど“両親”というイメージはぼんやりとしているものだった。
 けれどそれは決して彼ら自身の両親のせいでは無い「両親はとてもいい人でとても君たちを愛していたよ」と何度と言い聞かされてきた。事情をまだ理解できなかったころからしっかりと説明されてきたからそれは分かっていると思う。だからこそ剣技も魔法も真剣に覚えた、いつか会う両親のために。
 旅の間にサンチョはよく両親の話をしてくれた。父親は魔物だって仲間に出来てしまうような心の優しい人で、母親も優しく、けれど僕達を守ろうといつだって一生懸命な強い人だと。だからレックスもタバサもそんなまだ見ぬ両親が心底誇りに思えたのだ。あんな広い城下で彼らの悪口をいう人なんてほとんどいなかったのだから。
「でも私達を見て優しく笑ってくれたし、抱きしめてくれたよ?」
「そう……だけど」
 首を傾げながら、そのときを思い出して嬉しそうに笑うタバサは、まだボロンゴの背を撫でてやっている。
 タバサの言うとおり、“お父さん”は静かに笑って、レックスを抱きしめてくれた。
 初めて見つめた父親の瞳は自分たちの髪の毛と瞳には似ても似つかないような真っ黒で、でも不思議な光を放っているような気がした。
 いつだって穏やかそうな雰囲気を出している父親はそれでもあまり喋ろうとはしない。無口というわけではないけれど、賑やかとは決して思えない。サンチョの話ではそんな印象はなかったのに、とレックスはため息を吐いた。
「あのね、お父さんはお母さんのことが心配なのよ? 私だってお母さんに会いたいし、お兄ちゃんだってそうでしょ」
「そんなこと分かってるよ」
 両親に会いにいく、それがレックスとタバサの目標だった。まだ目標は半分しか達成されていない。だから次はお母さんの番だと意気込んでいたのも確かだ。
 だからこそ今まで早く両親に会いたい気持ちを抑えて剣技を習得してきたのだ。

 だから。でも。なのに。今日は、戦闘にだって出してくれなかった。
 馬車に揺られる中でタバサはよく寝てしまっていたけれど、スラリンはこちらを見つめてて触ればふにふにしてて気持ちよくてなんだか優しい気分になったけど。
 お父さんとお母さんに会う為に今まで皆から色々教えてもらったはずなのに、役に立つはずなのに。なのに馬車の中で自分達が自分達だけがお父さんを知らない。僕達の“お父さん”なのに。
 いつだって両親の話を聞いていたから自分は両親のことを知っているつもりだった。けれどお父さんからすればずっと石にされていて、赤ちゃんのはずの自分達が八歳になっているなんて想像つかないのかもしれない。会った記憶なんてないから話したことなんてないからやっぱり知らない人なのかもしれない。
 ならお父さんだって僕らのことを知らない。なら知っている“お母さん”の方が大切なのかもしれないじゃないか。
 そう考えてしまってますます気分は暗くなる。首を振ると、タバサの手が寝出るのをやめていることに気付いた。
「タバサ?」
「お兄ちゃんのばか……お父さんは、ちゃんと私達の事考えてくれてるもん……」
 双子というのは普通の兄妹以上に何かを感じ取ってしまうのかもしれない。タバサは特に人の心を敏感に感じ取ってしまうからなのか、少しだけでもレックスの思考が分かってしまったらしく、顔が真っ赤になりながらも今にも泣きそうな顔でレックスを睨んだ。
「ごめん、そ――」

「どうしたの?」

 そんなことない気のせいだよね、と続けようとする前に声が聞こえる。
 そのすぐ後にボロンゴがびくりと耳を動かして体を起こした。タバサの手をするりと抜けて声の主へと向かっていく。
「「お父さん」」
 いつものように小さく笑って2人に目線を合わせるようにしゃがみこんだ。いつもの洋服に左腕にはなにか大きな荷物を抱えている。
「レックス、タバサ喧嘩してたの? 珍しいなぁ」
 首を傾げて聞いてきたのでタバサは慌てて首を振った。
「疲れただろうし今日はここで休もうか。ちゃんと宿屋で寝よう、宿はとってきたから」
 街のはずれの宿屋を指差す。ごろごろと、まるで猫みたいに頬を摺り寄せるボロンゴを撫でながら。
(ボロンゴみたいに僕はできないのに)
 くやしくなって、なんだか無性に泣きたくなってレックスは立ち上がった。
「だ、大丈夫だよ! 僕、まだ歩ける。僕等より早くお母さん見つけないと!」
 途中、口を挟もうしたのかもしれない、口を開けたお父さんが目を見開いて、一瞬だけ止まったのが分かった。
 それが本当に寂しくて、やっぱり考えていたことが本当なのかもしれないと先のタバサのように目が熱くなる。
 僕達なんてどうでもいいんだきっと、そう心の中で呟くとじゃり、と石が動く音がする。
「君達は、本当にビアンカそっくりだなぁ」
 怒られるかな、見捨てられるかな、嫌われるかも、そう考えていた先に言われた言葉にレックスは顔を上げる。
「ビアンカ……って」
「ん? ああ、君たちのお母さん」
 くすくすとそれでもいつもよりもずっと楽しそうに笑う父親にタバサと顔を見合わせる。それは初めて見るようななんだか面白そうな笑顔だった。
「お、お母さん?」
「そう、君たちの髪と瞳はビアンカそのものだよ。……あと、そうやって自分に無理して僕に気を使うところ」
 初めて聞くお父さんのお母さんの話。
 するとお父さんはでもね、と付け足した。
「自分の大切な子供に気を使わせたり、まして無理させたらビアンカはきっと凄く怒ると思うよ」
「……お母さん、怒るの?」
「うん。ビアンカは優しいけど怒ると怖いから。それにもしビアンカが怒らなくても僕は嫌だな」
 まだ笑いながら言うと左腕に抱えていた袋から厚くて綺麗な布を二つ取り出してレックスとタバサにそれぞれ被せた。
「次はちょっと寒いんだ。だから今日は早めに休むつもりだったから早くここに着きたかったんだよ」
 レックスの目線に合うように屈んでお父さんは笑う。相変わらずその瞳は真っ黒でそしてとても優しい光を放つ。
「馬車は狭くて窮屈だった? ごめんね」
 首を振るとお父さんは二人を見つめて続ける。
「明日からはまた一緒に歩こうか」
 両手で二人の頭をそれぞれに撫でる。ボロンゴは少しだけ不満そうにお父さんの足に擦り寄ってきたのでお父さんはまた少しだけ笑った。
 暖かい手に安心しているとタバサが小さな声でかけてもらった布を大事そうに握って聞いた。
「……お父さん、どうして嫌なの?」
 するとお父さんは不思議そうに、けれど笑みを止めてまっすぐに二人を見つめる。真剣に言っているのだと分かってもらうように。
「僕はレックスとタバサが大切だから。ビアンカに会いたいとは思うし、君たちにお母さんに会わせたいけど僕達の子供に何かあったら意味がないよ。ちゃんと元気に育ったよってビアンカに見てもらわないと。大丈夫だよ、お母さんはきっと君たちを待っててくれる」
 分かったかな、と少し自信なさげにお父さんは笑った。嬉しそうに笑うお父さんはいつもより更に若く見えてなんだかお兄さんみたいだったけれど、暖かい手がやっぱり何処か懐かしいような気がしてタバサとレックスは顔を見合わせて、頷いた。きゅ、と口を結んで二人タイミング良く立ち上がる。

「あのね! 私お父さんだーい好きっ!」
「あ、僕だってお父さん大好きだよ!」
 そうしてまるでボロンゴがするようにお父さんに突進するように思い切り抱きついた。本当はずっと前からこんなことをやってみたかったのだ。
 するとお父さんは少しだけ驚いて、それでもまた、前みたいに抱きしめてくれる。
「うん。僕もレックスとタバサが大好きだよ。僕達がいなくてごめんね。でも生まれてきてくれて、こんなに元気に育ってくれてありがとう」
 あやすような優しい声に前とは違った涙が出てくる。やっと“お父さん”に会えたんだって思える。この人は僕達のお父さんなんだって思える。
 さっきみたいな考えなんてどこにもなかった。
(だって僕のお父さんなんだから)


 少しだけ泣いて、元気になって宿屋に向かう途中でレックスは父親の洋服をひっぱりながら顔を見上げる。
「でもお父さん、どうしてお母さんの話もっと早くしてくれなかったの? 僕、聞きたかったのに」
「私も!」
 いつもなら安全な町なら手を繋ぐレックスとタバサは先にもらった布を大事に抱え込むことで手は布を握っていた。
 二人の心からの疑問に父親は困ったような笑みを浮かべる。
「ごめんね。僕もビアンカも君たちを育てられなかったから、なんかお父さんとか呼ばれるの慣れてなくて、ちょっと怒られるのかなって思ってたらこんな優しい子に育ってるし……タイミングがね。あんまり偉そうなこと言えないし」
「???」
 もごもごと二人には分からないような言葉を繋げる彼に、けれどきっと自分達のことを考えてくれているのだろうと二人は理解できた。
「じゃあ、今日! 今日から教えてね」
「そうだね。君たちが聞きたいならいくらでもね」
「「やったぁー!!」」
 心底嬉しそうな笑顔の二人にそんな思いをさせていたのかと少しだけ反省しながら彼らは宿屋に着く。さて、何から話そうかと考え始めた父親の隣でやっと本当の笑顔を見つけた二人の子供が嬉しそうにそんな父親を見つめている。





 お父さんは空みたいな人だった。
 髪の毛も瞳も真っ黒で、僕達のとは全然違うけど。
 格好よくて、暖かくて、優しくて、懐かしい。
 “お母さん”に似ていると言ってくれた自分とタバサの髪の毛と瞳を見て、お父さんの顔とてを見つめて、僕はなんだかとても嬉しくなった。
 今日はいっぱい話をしてもらおう。
 それでタバサがずっとして欲しかったって言ってた腕枕してもらうんだ。一緒に、横になって寝るんだ。お父さんと一緒に。
 ――それに、お父さんに会えてこんなに嬉しいんだから“お母さん”がいればきっともっともっと楽しくなるよね?

good old blue black