自分が育てたらこんなに良い子になっただろうかと思いながら、二人を驚きながらもどこか夢現のようにぼんやりと見つめた。
 そんな中、一歩下がって微笑んだ唯一の彼がなんだか酷く大人びて見えたのが、ほんの少し悔しかった。


「ねぇ、大丈夫? あの子達……」
「大丈夫大丈夫。ああ見えて二人はしっかりしてるよ」
 宿屋に来るなり冒険だと飛び出してしまった我が子に呆気にとられていたビアンカは、そんな二人をいとも気にしないようにゆったりとしたベッドに座り込んで笑いながら返してきた彼を見て笑う。いつもどおりの風景なのだろう、彼がそういうのならば安心できた。
「あの二人、まだ子供なのに戦えるんだからびっくりしたわよ?」
「うん、僕も初めは吃驚した。でも旅をする前からサンチョに鍛えられてたらしいし、おかげでとても頼りになってるよ、困ったことに」
「あら、困ってるの?」
「だって一緒に戦いたいって理由も筋が通ってるし、その願いを無碍にもできないし、でもやっぱり心配にはなるし、さ」
 そう言う彼は、実は十年もの月日が過ぎていたというのに、相変わらずずっとこんな調子だ。本当に昔から、まだ彼の父親が生きていた頃から変わらない。
「本当。我が子ながら可愛いくて困っちゃうわ、あの二人」
「そうだね、特にタバサはしっかり者で君によく似てる。……ああでも、あの子の方が大人しいかな?」
「ちょっと、どういう意味?」
 横目で睨んでみせると、彼はなんのことだかと言わんばかりに微笑みながら首を傾げる。
「どうせ私はお転婆だったわよ」
 少しむくれてみせて、ぺちんと小さく彼の服を叩くと、彼はちっとも痛くなさそうな顔で「痛いよ」と笑った。

 そうして彼は少し姿勢を崩して、すぐにぽすんと音を立てて横になる。彼の体力からしても別段疲労は見えていなかったから珍しいこともあるものだとビアンカは笑う。
「まだ夜にもなってないのにまるで子供みたいよ? お父さん」
 まだ帰って来ていない子供達を引き合いにだして、おどけるように覗き込んだビアンカが笑うと彼は顔だけを動かしてくすりと微笑む。
「いいんだ。今日は特別」
「特別?」
 不意に投げかけられた疑問に、さも当たり前だと言わんばかりに彼は覗き込んでいたビアンカの頬に手を添える。
「だって、やっと君に会えた」
「……」
「良かった……本当に」
 表情は幸せそのものだ。いつも不安を払拭してくれる笑顔はとても眩しくて、いつだって周りを優しく包むようだ。
 その笑顔は優しい。けれど触れた指先と言葉が少しだけ震えているのを見つけてビアンカは息を呑んだ。そう、彼の演技はいつだって完璧に近い。

 彼は二人で旅をするようになってから、その殆どの表情が笑顔だった。ビアンカにとってそれはとても愛おしい表情だ。
 けれど、どうしてそこまで優しくなれるのだろうかと思う。
 彼の人生は類を見ないほど過酷で、母親を亡くしたビアンカも楽な生活とは言えなかったが、彼の話を軽く聞いただけでも、饒舌なはずの自分が言葉を失くしてしまいそうになる。

 今回も我が子の姿を見れこそすれ、長い時間が過ぎたのだとわかる。
 実際石にされた時間は曖昧で、なんだか靄がかかったようだ。辛かったかどうかも分からない、石という無機物。表現しがたいこの感情を知っているのもまたビアンカ以外に彼しかいないだろう。その彼が、自分が在ることに嬉しそうな顔をしてくれてもちろん嬉しいのだけれど、同時に申し訳ない気持ちがあった。


 ――例えば仮に私と彼が逆の立場だったとしたら、私は悲しくて悲しくて。彼のように我が子を育てながらの旅など出来るだろうか。
 意地でも探し続けはするけれど、彼のように子供達を安心させながら親として接することが出来るだろうか。

 彼のお嫁さんになった。
 自分とはかけ離れて綺麗で優しそうな、まさにお嬢様の名に相応しい彼女を見つけて、心底諦めかかったその微かな望みが、無理だと思っていた夢が叶った。
 それはまさに夢のよう。
 普段着慣れない服を着て、落ち着かない心と足取りをなんとかゆっくりと動かして彼の元へと歩いた結婚式を今でも鮮明に覚えている。目まぐるしくすべてが決まっていった結婚式ではあったけれど、あの時確かに彼は言ったのだ、ずっと一緒にいると。
 嬉しくて嬉しくて泣きながら何度も頷いて、そうして私も一緒にいると誓った。誓ったのだ。

 なのに、彼と離れ離れになって一緒にいることも、子供達と同じ時間を刻むことすらできなかった。
 幼少期、再会を誓ったあの時のように、また彼が大変なときに限って彼の側にいられなかった。

(……私はあなたに相応しいのかしら)

 彼と最後に会った街が焼けても、新しい村でなんとか生活出来ても、やっぱりどこか頭の片隅にあった彼を今でも誰より大切に思っている。
 だからこそ彼が辛いときに私が側に居たかった。居るべきだった。
 心を哀しみで震わせて欲しくて一緒になった訳じゃない。心配させるだけのための一緒にいる訳でもない。
 私は、貴方の、

「ねぇ、」

 声をかけて、すぐに思い留まる。添えられていた手がするりと抜けて、寝息が聞こえてきた。
 いつもより幼くなる寝顔だけは、やはり二年の差が埋まっても変わらなかった。
 やっぱり彼といるのは幸せだと再確認しながら、彼の黒い髪を掬う。彼の父親譲りの漆黒が自分の子供達に譲られなかったのが少し惜しい。最も、彼は子供達が金糸のような髪であることを生まれた時から喜んでくれたから、それはそれで嬉しいのだけれど。





「お父さん! 聞いて聞いて、すっごいんだー……」
 どたどたと子供ながらにはしゃぐ足音が聞こえて声と同じ瞬間にドアが開けられる。けれど彼が寝ていると気付いたらしくすぐに口を押さえてこちらへ寄って来た。
「ごめんね、もう寝ちゃったのよ。どうしたの?」
 宿屋で何かトラブルはそうそう起きないだろうと、ビアンカは口を押さえたままの二人に向き直る。
「お……お母さん……」
 呼ばれ慣れていないはずなのに、どうしてか呼び慣れている単語は彼のおかげだろうか。子供達に苦笑しながら目線を合わせると二人はこちらを物珍しそうに眺めている。
 ビアンカ自身ではなく、その傍で眠る人に。
「二人とも、どうしたの?」
 訝しげに首を傾げてみせると、タバサは惚けたように笑った。
「凄い……、ね、お兄ちゃん凄いね」
「うん、僕も初めて見た」
 視線は彼からビアンカ自身へと向けられ困惑がさらに現れると、二人はまるで宝物を見つけたかの様に殊更嬉しそうに笑った。

「「お母さん、凄いね」」

 放たれた言葉が理解出来なくて、ビアンカはさらに首を傾げる。
「え?」
「だって、お父さん寝てる」
 意を決した台詞もますます分からず、それがどうかしたのだろうかと不思議そうに首を傾げたままでいると、レックスはビアンカの耳元で囁く。
「お父さんね、僕達が寝るまで寝た事なんてなかったんだよ。ね、タバサ」
「うん。朝は私達より早く起きてるの」
「え……」
「やっぱりお母さんは凄いや」
 にっこりと顔を見合わせて笑う我が子をビアンカは見つめて、彼へと視線をずらす。
 やはり変わらず寝入っているのを確認して、破顔する。

(そう、私は貴方の拠り所になって、側にいて、隣に居たいの。ずっとずっと一緒に居たいのよ)

 くしゃりと顔が歪んで視界すら歪むのは嬉しいからだ。子供達を心配させないようにと、ビアンカは二人に笑いかける。
「今日はこのベッドで、皆で寝よっか。レックスとタバサは私とも寝てくれるかしら?」
 そういたずらながらも、内心は思い切って提案してみせると、二人はすぐにコクコクと頷いてくれた。


「本当はね、ずっとずっとこうしたかったの」
「僕も夢だったんだ。お父さんとお母さんと一緒に寝るの」
 嬉しさのあまりか、逆に寝られなくなった我が子にビアンカはくすりと笑って二人の髪を撫でた。
「そうね、これから沢山一緒に居ましょ。四人一緒ね?」
「うん!」
「ずっとだからね!」
 嬉しそうな顔をした子供達を見ていると寝ている彼も視界に入ってくれる、そんな少し窮屈なベッドは気にならないくらいに暖かい。
 子供達のそんな些細な夢すら今まで叶えてあげられなかったけれど、今度は、今度こそ、一緒に。


 辛い現実があって辛い過去がある。
 成し遂げなければならないことがあるから、避けられない戦いもある。
 けれどこれからずっと四人でいるために、彼の隣にいるために、その位叶えるのは苦痛でも何でもなかった。
 全ての願いを叶える行為ですら四人でいられるというなら、それはもう幸せに満ち溢れている。

隣指定席