可愛い従妹が泣いていて、その父親である叔父は謝罪しながら泣きそうになっていて。
 そうして抱きしめあっている“家族”の姿は月明かりに照らされてとても、綺麗だった。二人とも悲しい顔をしているのに思ってしまった――羨ましいな、なんて。


「お前、今日は……その……ありがとうな」
 泣きつかれた菜々子を寝かせたらしい叔父さんは、菜々子の部屋から出てきた。多分、しっかりと寝入るまで看ていたのだろう。自分の部屋に戻ってもよかったが、ぼんやりと借りてきていた本を読んでいた。
 とんとんと、階段を下りて話しかけてきた叔父は、目線を少し下にずらしてそう告げた。少しバツの悪い顔をしながら照れているのが分かった。
「いいえ。菜々子、嬉しそうで良かったです」
 本を閉じて応じる。菜々子は最近ずっと思い悩んでいるようだった。小学生という年齢で、彼女はあまりにも良い子でそれゆえに寂しい子だと思った。同年代の子たちはきっと、もっとやさしい世界に住んでいるのだろうに。
「お前には迷惑ばかりかけてしまったな」
「いえ。そんなこと……」
「菜々子はお前が来てから嬉しそうだ」
 そんなことを言う。確かに5月すぎから少しずつ会話が増えて、仲よくなったように思う。周りに小さい子がいなかったから、最初は戸惑ったけれど、あの子は必死に俺とコミュニケーションをとろうとしてくれた。それもまた、良い子だからなのだと思う。
「そうですね。菜々子は、良い子ですから。……でも菜々子が一番嬉しそうなのは、やっぱり叔父さんといるときですよ」
 悲しそうな顔をして、本当のお父さんじゃないのかな、なんて言っていた彼女に俺は何もできなかった。そんな彼女を抱きしめるだけですべてを救ったのはやはり父親で、それはきっと本当の家族だけだ。
「だから俺に任せるって言ったときは、本気で殴りそうになりました」
「えっと、それは、その、すまん」
「本当ですよ、高校生の力舐めないでくださいね」
 俺の全力、結構痛いと思いますよ、なんて笑った。なんとなく、満面の笑顔にできなかったのは、今日の河原の光景がフラッシュバックしたからかもしれない。本当に綺麗だったな、と思う。

 そういえば俺のときはどうだったろう。小学一年生の時。まるで霧がかかったようによく思い出せない。
 ペルソナは自分自身。けれどワイルドはゼロ。俺はワイルドだから、ゼロ。すべてを生み出せるということは、そこには何もないのと同じではないのか。無限の可能性は同時にそう言えるのではないか。ならば、最初のイザナギはどうして俺の前に現れたのだろう。空っぽだった俺に“俺”はあったのだろうか。
 自分が抑圧していた自分と向き合って皆ペルソナを得た。こんなことを言ったら怒られるかもしれないけれど、俺は“俺”の影を見てみたかった。あの時どんな気持ちだったのか、“俺”を知りたかった。

「お前はお前がいない時のことを知らないだろう」
 ことり、と音がして思わず我に返ると、叔父がコーヒーを入れてこちらに寄越した。湯気が立つそれはとても暖かそうだ。
「はぁ……まぁ」
「菜々子のやつ、今まではジュネスがどうとか、ご飯がどうとか、あとはたまに学校の話もしていたが、ここ数か月はずっとお前の話しかしてないぞ」
 自分用に煎れただろうコーヒーを口に含んで息を吐く。苦いコーヒーの香りが鼻をくすぐったので、俺もそれに倣う。
「朝ごはんはお兄ちゃんがこれを作った、宿題を教えてくれた、晩御飯は自分の好きなものを作ってくれた。こんな話をしてくれた。今度ここに行くって約束をした、そんな話ばかりだ。俺の見立てだとお前8割、他2割だな。ちなみに他2割の内半分はお前の仲間たちの話だ」
「……それは、一緒にいる時間が長いからじゃ」
 それにやっぱり菜々子は良い子だ。きっと俺に嫌われないように頑張っているのかもしれない。俺に嫌われるというよりも、それを通して父親に嫌われないようにしていたのではないだろうか。まるで。
「お前は頭が良いのに結構馬鹿だな」
 テスト、一位だったんだろ。呆れたように言えば、叔父はそのまま手を俺の頭に乗せた。
「え……? お、叔父さん、何を……」
「俺と姉貴は似てないと思っていたが、子育てに関しては似てしまったのかもな。お前と菜々子が似ているのか。……いや、それも俺たちのせいか」
 わしゃり、と髪の毛が擦れる音がする。そういえばこういうことをすることはあっても、やってもらった記憶はとうにない。でも、やってもらったこと自体は、ある気が、する。
「……俺の両親だって、俺のこと好きでいてくれますよ」
 ちゃんとわかっている。海外に行っても心配してくれているだろうことも。転校する時だってちゃんと確認をしてくれたことも。わかっている。きっと。そうなのだろうと思う。多分。……きっと。
 わしゃわしゃと音がする。全く不快じゃないそれのおかげで頭が暖かい。耳に入るのはとても優しい音だ。 
「そうだな。自慢されたこともあったぞ」
「……でも」
「ん?」
「菜々子が俺みたいにならなくて良かったなぁ、って」
「……」
「あんなに泣いた菜々子には悪いけど、きっと泣くことって悪いことばかりじゃないから」
 俺は泣いただろうか。お父さんなんて菜々子のこと大事じゃないんだ、そう言って泣いた菜々子。心が張り裂けそうな悲鳴はきっとだからこそ届いたのだろう。俺は泣かなかった。諦めたのか、知っていたから言わなかったのか。あの頃の俺はもう俺の中にないからよくわからない。でも一つだけ言えるのはそんなことだった。俺みたいに何もない、無だった世界より、菜々子の世界はもっとキラキラしていてほしい。だって無は無であることすら分からないのだから。それは本当に寂しいことなのだと、そんな当たり前なことを俺はこの場所に来て知った。
「だからもう二人は家族なんだなぁって。いやもともと家族なんですけど」
 はは、と笑う。大丈夫だろうか、声は震えてないだろうか――二人の邪魔をしていないだろうか。
「お前、最初は可愛げないなぁと思っていたが」
「え、ひど……痛っ!」
 撫でられた頭に痛みが増す。思わず叔父を見上げれば、親指と人差し指で額を弾かれて――いわゆるデコピンをされていた。
「思ったのは最初の2週間くらいだ。遠慮してるとも思ってたがな。お前、さっきも言ったが成績良いのに馬鹿な奴の典型だな」
「……滅茶苦茶ぼろくそに言いますね」
「当たり前だろ。俺はお前が来てこの家が、アイツがいなくなって以来初めて家族になったと思ったんだぞ。そこにお前がいなくてどうする」
 思わず目を見開く。だって、今は家族の話だ。菜々子と叔父さん。俺? なんで。俺がいる。
「……え……俺? なんで」
「は? なんでってお前も家族だろ。俺の家族」
「か、ぞく」
「違うなんて言ったら、菜々子泣くぞ。今日の比じゃない。さっきだってお兄ちゃんがいてくれて良かったって言ってたぞ。……お前に憧れるのは趣味が良いとは思うが、親としては複雑だな。俺よりお前の言う事を聞くんだから」
 羨ましい。お前みたいになりたい。そんな言葉をかけられたことはある。その度俺は心底意味が分からなかった。俺のどこが羨ましいのだろう。意味が分からず内心首をかしげるだけだった。俺は、俺のほうが羨ましかったのに。
「俺も……家族……」
 ぽつりと放った言葉はコロンと転がり落ちて、きっと叔父のところにでもいったのだろう。それを救い上げた叔父は、困ったように当たり前だろ。と笑った。
「無理に良い子しなくていいぞ。――まぁ危ないことはやめてほしいが。自分の意見だって我儘だって言ったって良い。よっぽどのことじゃない限り菜々子も喜ぶ。大体お前、仲間たちといる時より俺たちに気を遣ってるだろ」
 再度頭を撫でられた。人に悟られないように動くのは得意だったはずなのに。
 花村たちと一緒にいる時は楽だった。もう深いところで一緒に居られている気さえした。きっとこれは一時だけじゃない、ずっと続くものだと。でも、家族は。俺にとっての家族は。


「――お兄ちゃん?」
 困ったように俯くと、可愛らしい声が聞こえて前を向く。いつもよりずっと早く寝たせいか一度目が覚めたらしい菜々子がこちらに寄って来る気配がする。
「菜々子、目覚めたのか」
「……お父さん、お兄ちゃんいじめたの?」
 叔父が返事を返すと、酷く非難めいた、本当に珍しい声色で菜々子が叔父に問う。
「いじめてないぞ」
「だってお兄ちゃん、悲しそうだもん。菜々子、お父さん大好きだけど、お兄ちゃんいじめたら駄目だからね。お兄ちゃんは菜々子のお兄ちゃんなんだから」
 そう言って俺の胸に抱き着いてきた菜々子はとても暖かった。ああ、やっぱり叔父と同じ体温だと思った。
 叔父は目線でこちらを見て苦笑している。だから言っただろ、と小さい声が聞こえた。
「菜々子、大丈夫だよ。いじめられてないよ」
「ほんと? 悲しくない?」
「悲しくないよ。菜々子も叔父さんもいるからね」
 頭を撫でる。クマにもりせにもよくやっているこれは、きっと俺がして欲しかったのだと今気づいた。ここに来てから気付くことが多いな、と独り言ちた。
 菜々子は安心したように笑っている。叔父はやはり苦笑してコーヒーを飲んでいる。

 一般的な家族はよくわからないけれど、こうして一緒にいるのがよくテレビとかでみる光景だった。ならこれは家族だと言える、のかもしれない。
 幸せな温度に浸かっていくようだ。我儘を言っていいのなら、今日はこのまま寝てしまいたい。暖かい温度と優しい香りとコーヒーのにおい。
 きっと、俺の孤独は溶かされる。



 そうして目が覚めたら菜々子に伝えよう。
 良い子じゃなくても、悪い子でも、君ならなんだっていいよ、と。
 俺を救ってくれたように、寂しくないように、今度は俺が俺の家族を守ってみせる。

 何があっても――絶対に。

True family.