生い茂る緑に光が反射する川。いっそ菜々子が思い描いていた天国よりらしい気がするその風景に思わずクマに笑みが増した。

「綺麗だな」
「センセイ。うん、綺麗クマ! クマ、すっかり忘れてたクマよ」
 ここがこんなに綺麗だったのはいつだっただろうかと思ってももう忘れてしまった。シャドウからクマになった経緯も、自分自身、忘れようとして終には忘れてしまったのだから、もうずっと前のことなのだろう。
「センセイとヨースケ、約束守ってくれたクマね」
 犯人を捕まえて欲しいなんて約束はもう一年も前の事なのだけれど、事情を飲み込めずに驚く花村とは対照的に、彼があっさりと頷いたことは随分最近のようにも感じる。
「まぁ、約束しなくちゃテレビの中から出してくれそうもなかったし」
 となりに座る彼にクマは首を振ろうとして、体を振って否定する。
「センセイはきっとあんな事言わなくても約束してくれそうだったクマ」
「そうかな?」
「クマの目はごまかせないクマよ」
 眼光鋭くするようにして少し詰め寄れば、そうかと彼は頷いた。

 いつもの仲間はこの場所ではしゃいでいる。そういえば彼の家で遊んだりはしたけれど、皆揃って市外に出掛けたことは殆どなかったと思い起こしてクマは仲間を見ていた。そんな中でクマの頭を撫でる感触がする。
「センセイ?」
 そうしたのは紛れもなく彼で、吃驚したように見れば、珍しくも優しい目を細め笑っている姿がクマの目に映る。
「クマ、ありがとう」
「およよ? クマ、今センセイにありがとうって言おうとしたクマよ、どうしてセンセイが言うクマ?」
「クマ、コタツを買いに行った時言ってくれただろ、俺のところに住むって」
 こくんと頷く。それは犯人が捕まったと思ったあの時。もう人間の世界に居る必要も理由も分からなくなった時。彼女が病院に居た時。そんな時、此処に居ろと言ってくれたからなのにと不思議そうにしていると、撫でていた手が優しく離れた。
「あれ、凄く嬉しかったから。クマ、テレビの中で一人きりだったんだもんな」
 俺よりずっとサシミシンボーイだったもんな、そう付け加えて笑うからクマは撫でられた腕を掴む。そんな台詞、もうずっと前にクマが言ったもの。誰もいない、心を持たないシャドウだけの世界が酷く虚しいものだと気付いたのは、仲間が出来てからだ。誰か、自分を知ってくれる人が出来てからだ。
「セセセンセイ! 言ってくれたらクマすぐにセンセイのところに行ったクマよ!?」
「そうだな。でも良いんだ、クマがああ言ってくれただけで充分だよ」
 あの後は目まぐるしく事態が変わったから何時の間にかそんな話題がなくなってしまった。言ったことを忘れたわけじゃなかったけれど、片隅に追いやった自分をクマは少しだけ後悔した。
「センセイはやっぱり特別クマ!」
「……そんな事ないよ。みんなと同じだ」
「そうじゃなくて、センセイはクマの特別クマ」
 どうしてか苦しそうに笑った彼にクマが続けると、驚いたようにこちらを見てふと笑う。そうしてもう一度クマの頭を撫でた。
「俺にとってもクマは特別だよ。元シャドウでもさ、クマは優しい心を持ったからクマなんだな」
「クマそんなに褒められると照れちゃうクマー」
「照れろ照れろ」
 顔に手をやって照れる仕草をすると、撫でられていた動きは強さを増した。自慢の毛並みをくしゃくしゃにされても今日ばっかりは文句も出ない。

 だって今日で最後。シャドウを倒したのもセンセイたちとこの場所に来るのも、ペルソナを出すのも。

「ねぇセンセイ、この場所覚えてて欲しいクマ」
「当たり前だ、俺が見てきた中で一番綺麗なこの場所を忘れたりしない」
「うん、クマ本当に良かった。センセイとヨースケが来てくれて。チエチャンもユキチャンもカンジもリセチャンもナオチャンもナナチャンも! 皆、大好きクマ」
 彼が稲羽市を離れて何処かに行く理由を聞いてもクマには実際のところよく分からない。人間の仕来たりも状況もまだまだ理解し切れてはいない。
 ただクリスマスを過ぎて花村が家で、淋しくなるんだろうな、と小さく零した様に、周りの皆が競うように彼との遊ぶ時間を取り付けていたのを見て、クマもなんだか辛くなった。また会いにくると言っても今みたいに毎日会えないのは寂しい。悲しい。淋しい。
「ね、センセイ。また来てほしいクマ」
「テレビの中にか?」
「そうじゃなくて、クマとヨースケ達のところに」
 ぐしゃぐしゃにされた毛並みを両手で直してクマが言うと、きょとんと目を見開いた姿を見つけた。いつもクマがやりそうな顔に、こちらもその表情が移った気がしてまじまじと見つめると、っく、と息が漏れた音がする。
「なんだ。クマは当たり前のことを今日よく言うんだな」
「およ?」
「クマは菜々子と遊ぶって、約束したんだろ? 帰ってきたら、混ぜてくれ」
 またすぐに帰って来るから、俺がいないときに沢山遊ばないと二人で遊べなくなっちゃうかもな。そう告げて立ち上がった姿をクマは見上げた。
(寂しくて悲しい。でも、やっぱり楽しみクマ)
 自分のことを知ってくれて、大切に思ってくれた仲間に出会えた喜びはきっと一番知っている。クマはぼんやりと綺麗だと思ったこの世界を見つめる。
「おーい、皆。そろそろ時間だぞー」
 そうしていつも通りに告げた彼の手が固く握りしめられていたのを知っているのはクマだけで、口々に不満ながらも笑顔で集まってきた仲間を見てクマはこっそりと笑う。
 人間と同じだと言ってくれた仲間の心はもうずっと前からこんな綺麗な場所なんだろう。だったら、いつか別れる時が来ても、毎日会えなくてもこの場所を見れば仲間のことを思い出せるはずだ。今度こそ絶対に忘れないとクマは心に決めた。


(この場所は、皆みたいなこの場所は、クマがずーっと守るクマよ、センセイ)

the place which I desire