夕暮れは小さな田舎町を橙色に染める。花村陽介はぼんやりと空を仰いで隣の巽完二と並びながら、ゆっくりと帰路に立つ。完二の家は商店街にあるから遠回りになるのだけれど、偶然会えば声を掛けて一緒に帰ることも珍しいわけではない。
「お、菜々子ちゃん」
 文字通り上を見上げていた花村は完二の言葉に正面を向くと、菜々子は体重の三分の一くらいあるのではと思うほどの材料を持ったスーパーの袋を提げていた。
 袋にはジュネスと書かれて、よく好きだと言ってくれたのは今でも変わらないのかと嬉しくなる。
「いっぱい買ってんなぁ」
「あ、お兄ちゃんたち!」
 感心するように完二が近づくのに習う。外見はどう考えても怖いと思える完二の風貌に気にも留めないのは、やっぱり彼の従妹だなぁとよく分からない感心をしてしまった。
「卵とトマトと……、菜々子ちゃん、何作るの?」
「オムライス!」
 料理は殆どこの子がやっていると知っているが、二人分であるはずなのに数が多い気がして首を傾げれば嬉しそうに大きく頷いた。
「こんどね、お兄ちゃんかえってくるから、たくさんれんしゅうしてるの! ……ほんとうはね、お兄ちゃんが作ったの作りたいんだけど……」
 話の間から少し暗くなった顔を見て完二が困ったような表情をする。確かに打ち上げと称して作られたあのオムライスは普通の男子高校生どころか女子高校生にすら作れる代物ではなかった。
 当然、小学二年生になる彼女では至難の業で、目標が達成できなさそうで暗い表情を増した菜々子の両肩に花村は両手を触れる。少し触れられる奇跡に暖かいものがこみ上げた。
「大丈夫、菜々子ちゃんが頑張って作ったんだったらなんだって喜んで食べるぜアイツ」
「そ、そうかな……?」
「そうそう、相棒の俺が言うんだから絶対だぜ、な、完二」
「おう、なんてったって先輩っスからね」
 自信満々の二人にきょとんとして、次の瞬間菜々子は嬉しそうに笑う。
「そっか、お兄ちゃん喜んでくれるといいな」
 当たり前だろう、そう二人は確信して笑みを零した。優しい可愛い女の子を表したような彼女はこのままで居て欲しいなぁ、とは今は都会にいる彼でなくとも思うところである。何しろこの子を嫌う奴なんていないんじゃないかと思えるくらい、本当に可愛い存在。なんて考えてはたとひとつ思いつく。
「菜々子ちゃん、美味しく作るコツはひとつだよ」
「あるの!?」
「おお、それはちゃんとレシピを見ること」
 花村は至極当然なその答えを真剣に言う。そんな花村とその言葉に数回深く頷く完二を見つめて目を瞬かせる。実体験を伴っているその助言は最早祈りに近い。
「お兄ちゃんに美味しいって言わせるためにも約束な!」
 不思議そうな顔をしていた菜々子だが、自分の父親と同じくらい信用している相手を会話に出され、ましてその人物を喜ばす方法だなんて言われれば頷く他ない。きっと彼女の心境は従兄妹の兄を吃驚させて喜ばせたいという思いしかないのだろう。その純真さと、「頑張るね」と両腕を持ち上げてぐーの形を作った菜々子を慈しむように見つめる。
「ありがとう! うまくいったらお兄ちゃんたちもたべてね!」
「おうよ、と、花村先輩そろそろ暗くなっちゃうんじゃないスか?」
「そうだな、じゃ、菜々子ちゃん気をつけて、楽しみにしてるぜ」
「うん!」
 にっこり。そんな擬音が聞こえてきそうな笑顔と姿を見送る。家まで送ったほうがいいのかもしれないけれど、事件が収束してこの町は一昨年までのように何もないただの田舎町になった。菜々子の父親も早く帰ってくると聞いていたから大丈夫だろう、と思う。


 まだまだ夕焼けが残る帰り道で、完二はしみじみと笑う。
「しっかし、菜々子ちゃん。可愛いスねぇ」
「まーな、菜々子ちゃんに限って前のオムライスみたいなもんは作らねーと思うけど」
 そう言い噤んで花村は背筋が凍る。確かにオムライスは美味しかった、ただ一人だけは。けれどレシピなんて存外にして作られた三つのオムライスの味だって今も覚えている。そういえばカレーも酷かったと思い起こして首を思い切り横に振った。出来れば忘れたい。きっとレシピ通りに作るだろう菜々子の爪の垢でも煎じて飲ませたいくらいだ。怖いから口には出さないけれど。
「いいなぁ相棒、菜々子ちゃんにあんなに好かれて。菜々子ちゃんのオムライス美味しかったら恩着せてやろっかな」
 なんて、きっと彼が知ったら呆れた表情をされるだろうと予想して笑う。
「さしずめ、菜々子ちゃんの理想のタイプは先輩ってことスかね」
「あー、そうかもな。相棒みたいな人、ねぇ」
 そう口に出して花村はもう一度空を見上げた。

 相棒は、成績優秀で運動神経も上々。容姿も悔しいことに悪くなくて背も高い。口数少ないけど一言一言に重みがあって、他人に不安を悟らせずに立ち回るからか人間関係を築くのが上手くて冷静な人間だ。欠点といえば多少自信家ってことか。けどムカつくことにそれらには根拠と実績があって、ちょっと完二とか俺とか俺とかあと俺とかに厳しいけれど女子には優しいし。他の欠点もあるっていえば勿論あるんだけどなんか長所に比べて霞むというかなんと言うか。それにペルソナも沢山持っててオールマイティにサポートもこなすし、作戦の指示や装備とかの準備も任せられる、ってもうこれは関係ないか。あ、あと作る飯がすげー上手い。弁当とか。そうそう、だから、あの相棒が理想ということは。ということは。

「なぁ……アイツみたいな奴って他にいると思うか?」
「……いや、今まで一切出会ったことないスけど」
「だよなぁ。つか沢山いたら俺辛いわー、色々」
 思わず遠い目になってしまった花村と完二はゆっくりと息を吐いた。今までというよりもこれからも出会う気はしない。そのくらい特徴的で常識外れな人間であるはずなのだ。きっと彼が聞いたら「どこが?」と心底不思議そうに返すだろうけど、自覚がない辺りも彼らしい。
 言葉を切って二人は目を見合わせる。表情は引きつった顔だった。彼が大切にしている従妹の菜々子は、二人にとっても可愛い妹のような存在であった。今の時点で彼に劣らず型破りな優秀さを持つあの子が選ぶ人間は一体どんな奴だろうかと少し気にもなる。けれどあの子の理想のタイプが彼だとするならば。
「大変スね、菜々子ちゃん」
「ああ、マジでな」
 一年間で仲良くなった従兄の存在は異彩を放っていて、特に今まで父親以外とあまり関わらなかっただろう小学生にとって彼はさぞ素敵に見えるのだろう。きらきらと“お兄ちゃん”のことを喋る菜々子の笑顔を思い出して二人は脱力する。従兄妹の仲がいいことはいいことだ、彼と菜々子ならば尚更。けれどそれ故にその理想は菜々子の理想とすれば高いとは言わないけれど、そもそもあのような存在がそうそう居るはずもなく。というか彼以外居るはずもなく。
「…………まぁ、」
「…………ああ、」
 頑張れ。心の中から吐き出した音は同じようで、誰に向けたかその言葉を同時に放った二人は苦笑を繰り返した。


 彼が帰ってくるまであと二週間。今日も稲羽市は平和である。

彼女の理想ビジョン