プルルルル、と携帯電話は数回音を鳴らした後に声が聞こえた。

『叔父さん? お久しぶりです』
「おお。……あー、お前、今時間いいか?」
『あ、はい。ちょっと待ってください』
 堂島は久方ぶりに声を聞いた甥の言葉に、肯定して待つことにした。

 一年間だけ、という姉の言葉にそれほど考えず了承したが、甥っ子である男は一体どこでなにをすればそう育つのか心底不思議になるような人物だった。最初は大人しい優等生なのかと思っていたが、結局甥のおかげで娘の菜々子との関係も今までよりも遥かに、それこそ千里が生きていた時の様に親子になれたのだろうと思う。

 ――ごめん、俺帰る。ちょっと用事ができた
 ――えー! 帰っちゃうの?
 ――別に今日じゃなくてもよくね?
 ――お前連れ出すの苦労したのに
 ――うん。でも家族のことだから。ごめんね、また

 そんな声が雑多に聞こえて思わず「お、おい。別に後で掛け直してもいいぞ」と声を上げてしまった。聞こえているのかいないのか、甥はそのまま階段を登る音だろうか、かつかつと鳴らして数秒後に声を掛けられた。
『すみません、もう大丈夫です。で、なんですか?』
「いやいや、俺のタイミングが悪かったな。戻っていいぞ」
 また後で掛ける、と言えば甥は困った様に――そう何故か感じられて――笑った。
『いえ。本当はあんまり行きたくなかったというか……苦手な場所だったんで、むしろありがとうございます』
「は? お前どこにいるんだ?」
『……えっと、カラオケでしたよ』
 ねーオニーサン、これからどう? なんて声が聞こえると同時に言われたセリフに思わず眉間に皺が寄る。
『大丈夫です。って、ああ、違いますよ、本当。カラオケなんですけど、その、まぁ、飲み会というより合コン? みたいな』
「……お前こっちではノリノリでやってたみたいじゃないか」
 娘が「おにーちゃん、お姉ちゃんみたいで綺麗だったよ!」なんて言って見せてきたのは、甥がセーラー服を着ておさげのかつらをして、友人達と合コンらしきことをしている写真だった。堂島としては少しばかり自身の姉に似通っていて別の意味でも戦慄したが。確か楽しそうにしていたし、前に帰ってきた時、酒を飲むのも然程嫌がる素振りは見られずむしろ楽しそうだったが。
『なんでそれ知って……菜々子ですか。いや、あれは皆とふざけてたからですよ。それに今回のはなんか、こう、ちょっと、人数合わせかもしれないし、押し切られたというか』
「はは。そうか、お前にも苦手な物があったんだな。」
 言い淀む姿がなんだか珍しくて、少し笑った。
『それで、どうかしたんですか?』
 続けられた言葉に、要件を言おうと口を開く。普段は菜々子ばかりが電話をかけているから、俺から話題を提供するのは少し言いよどむ。内容が内容なのも手伝って。
「あー……お前、最近はどうなんだ」
『? 普通に学生生活してますけど。あ、今月はレポートの締め切り重なったので、来月お世話になろうと思ってます』
「そうか。いつでもいいぞ。お前の仲間と菜々子は寂しがるだろうがな」
『でも、離れていても繋がっていると思いますから』
「……またお前はそういうことを」
 呆れたような声色になってしまったが、きっと甥は心底真顔で話しているのだろうと思う。高校二年に知り合ってそれから数年、相変わらず連絡をとっているのだと感心する。帰ってくると、一同は無理でも、必ず全員一度は甥の顔を見に来るのだから。
『で、叔父さん。本題はなんですか?』
「……」
『今日は菜々子のピアノの稽古の日ですよね。いつも菜々子が話せるタイミングでかけてくるのに、わざと外した――菜々子に聞かせたくない内容か、理解できない内容。違いますか?』
「……お前、あの白鐘に弟子入りでもしたのか」
 子供の年齢にも関わらず、頭脳が明晰で警察に意見を求められる人物を思い出す。少し頑固である意味子供らしい人物を思い出せば、甥は光栄ですと笑った。
『でも叔父さん、今のは結構わかりやすいですよ』
「そんなこと言うのお前くらいだぞ」
『当然です』
「はは。まぁその通りだ、お前には言っておこうと思ってな。――足立のことだ」



 稲羽市連続殺人事件。
 そう今でも言われている事件がある。模倣犯を除いた犯人は、相変わらず信じたくもないが、俺の後輩だった男だ。菜々子を助けようと事故で負傷した俺の代わりに、甥は逃げた足立をどこからか連れ戻した。テレビの中からです、とまた真面目に言っていたがとりあえずその件は保留にしている。俺の真偽の予想割合は七三だ。
 人を殺したらしい。二人も。自供を調書で見たが何とも言えない感情がめぐるものだった。気付いてやれなかった後悔、そして責務となにより刑事としての誇りからくる、怒りだ。
 刑務所にいる足立は模範囚のようだと聞いている。実際、一度面会に行ったら話をする前にまず頭を下げられた。「本当に馬鹿野郎だな」と悲しく笑ってそう言えば、怒鳴りつけて殴ったときよりも、傷付いた顔をして「――同じ顔をするんですね」と言った。それが誰を指すのかは聞かなくても分かった。
「まぁアイツのやったことがあれほどだ。刑期を終えても稲羽市にはいないほうがいいと思ってな」
『そう、ですね』
 加害者がいれば被害者がいる。あそこには被害者の家族がいる。彼らに加害者の姿や情報が視界に入ったとして、何をするかは――例えば俺だったら、とりあえず捕まえるがその後は――わからない。
「で、だ。とりあえず更生のため、見知らぬ土地に行くんだが、お前、その前に言いたいことはないか?」
『……』
「お前らが頑張ってくれたんだろう。詳しいことは聞かないが。本当は駄目なんだが……俺はお前には、お前にこそ、その権利があると思ってる」
 沈黙が降る。足立との間になにがあったかは、あまり聞いていない。足立を引き渡されたときに、甥はちょっと疲れた困ったような、でも清々しい顔をしていた。信じていた人に裏切られるのは辛いだろうな、と思ったがそういえば甥は足立をどう思っていたのだろうかと思う。そういう意味では全く表情が読めない。
『叔父さん、一発』
「ん?」
『いや三発? 尚樹と、陽介と、尚樹の家族と、あと生田目さんと――……際限ないな。やっぱり一発殴っておいてください』
「は?」
『俺は、足立さん嫌いじゃなかったですよ。今はよくわからないけど。でも、やっぱり共感はできない。あの人が手を下した人の周りに、ずっと苦しんでる人もいるの知ってますから』
「……そうだな」
『俺はあの時確かによそ者で、その人たちとも共感できないのかもしれないけど、死ななくてもいい人が無意味にいなくなるのは嫌だ。だから、――殴っておいてください。そして馬鹿野郎、って頭でも撫でてあげてください。こんな素敵な場所にいられなくなるなんて本当ざまぁみろって』
「……そうか」
『そうですよ。俺がずっといたかったところに居られたのに。大体足立さんはずるいんですよ』
「ずるい?」
『そうです。大人だし。叔父さんには頼られてるし、ちょっと羨ましかったです』
 珍しい単語に目を見開く。当時高校二年生の甥に直接言ったことはもちろんないが、頼っていたんだがな、と堂島は思い返す。
「あー……俺はお前のことを、頼りにしてるぞ」
『知ってますけど』
 いけしゃあしゃあと告げられて嫌な気分にはならなかった。大人は子供を子ども扱いしすぎる節があるが、子供は大人を大人扱いするものだと今更ながらに思った。
「そうか。わかった。まぁ全力は無理かもしれないが――やっておこう」
『はい。……あの、叔父さん、陽介たちには言いましたか?』
「いいや。お前にだけだ。これは結構機密事項でな。そんな何人にも教えられない」
 俺の首が飛んじまう、なんて笑ったが実際迷っていた。でも少なくとも甥には伝えておこうと思った。
『そう、ですね。……ほかのメンバーはいいと思うんですけど、陽介は……』
「ん?」
 珍しく歯切れの悪い台詞に、首をかしげていると続けられる。
『叔父さんの首が飛んじゃったら菜々子も悲しむし、俺がバイトして仕送りしないといけなくなるんで、刑事のままでいてください』
「お前の世話になるつもりはないぞ」
『頼りにしてるって言ったのに』
「金銭面でするわけないだろうが」
 苦笑して言えば、冗談ですと甥も笑った。
『じゃあお願いします。そうだ、俺の分とは別に、足立さんと殴り合うのもたまにはスッキリしていいですよ。俺と陽介みたいに』
「お前ら何してるんだ……」
『落ち込んでたら、抱き締めてあげてくださいね』
「お前、そういうのはどちらかと言えば女にするもんだろ』
『叔父さんはすぐ陽介と同じことを言う」
「やったのか!?」
 相変わらず訳の分からない奴だな、と思いながらもある意味甥らしいとも思った。
 最後に「合コンの件は皆には内緒にしていてくださいね」と言われて電話を終えた。

 ――堂島さん、顔に似合わず可愛い待ち受けですね。
 そんな風にからかわれたことが何度かあった。その中には足立も含まれている。あの時足立は何を思っていたのだろうか、考えも詮無いことはわかっているが。
 画像の中には穏やかに笑う菜々子と甥の姿がある。守るべきものはここにある。優先順位を間違えてはいけない。もう、家族をばらばらにしないと誓った。
(本当に馬鹿野郎だな。俺は足立にだって――)
 けれどきっと最大限譲歩したのだろう、甥の願い事を叶えてやろう。この件で父親である自分にできることはそれだけだ。そう心に決めて堂島は目的地へと足を運んだ。

嗟嘆