ジリジリとか、ギラギラとか、そんな擬音が良く似合うと思うこの町のこの季節はやはり暑い。
「あーもうっ、なんでこんなに暑いんだろ……教室にクーラーないなんてありえないよぉ……!」
 疲れ切った様子で、隣に座るりせはぐったりと音を上げた。
「そんだけ話せる元気がありゃ大丈夫だろ」
 ぱたぱたときっと意味のないだろう掌を扇にして扇いでいる完二が呆れたように言う。
 そんな二人を見ながら空を見れば、晴天の名に相応しい青空だった。
 夏が始まった。春は巡るけれど、夏はもう元の街に帰っているだろうから、この町で最初で最後の夏だ。
「先輩? 大丈夫?」
「え、なに?」
「熱中症なんかにならないで下さいよ」
 思考を彷徨わせていたせいか、あまり聞こえていなかったりせの言葉を聞き返せば、ほら、と小さいタイプのミネラルウォーターを完二から手渡される。未開封のそれに思わず遠慮すれば、あげますと言われてしまった。
「先輩、多かったら私が飲むから頂戴」
「おい、俺のだぞ」
「えー、いいじゃない完二のケチ」
 そんな折角の好意だとペットボトルに口を付けた。下級生と自分というある意味珍しい組み合わせの中、二人の応酬は学校から各自の帰り道に繰り広げられている。というのも。
「先輩、他の三人はどうしたんスか?」
「ああ。花村と里中は補習みたいなもので、天城は家の手伝いがちょっとあるみたいで早く帰った」
 ということである。

 りせ曰く「日焼け止めなんかじゃ全然足りない」という日差しの中、指折り数える先には夏休みがある。さて、そうしたらどうしようか。テレビの中に入り浸りという訳にもいかない。できるなら皆とも遊びたいし折角だからバイトを増やすのもいい。あとは――
「先輩、あれ、菜々子ちゃんじゃないスか?」
 りせが指差した先には、見慣れた二つの尻尾が見えた。
「おーいっ、菜々子ちゃん!」
 ぴょんぴょんと跳ねながら名前を呼ぶ姿に、りせは若いな、と思ったのだけれどどうやら口に出してしまったらしい。それを聞いた完二が「何言ってんスか。一歳しか変わんねーくせに」と小さく突っ込んできた。
「あっ、りせちゃん! と、お兄ちゃんと完二くんだ。こんにちは!」
「おー、菜々子ちゃん今帰りか?」
「ううん。きょうはごはんかいにきたんだよ」
 ビニールの白い袋には惣菜大学の惣菜がある。いつもの風景だった。偉いなぁ、と二人が呟けば菜々子は嬉しそうに笑った。
「お兄ちゃん、今からりせちゃんと完二くんと遊ぶの?」
 少しの間談笑していたりせ達の後ろを歩いていた俺へ近寄って聞いて来た菜々子に、二人とは校舎で出会っただけで約束もしていなかったのを思い出す。うーん、と首を傾げながら思いのまま言葉を続けた。
「別に予定はなかったかな。暑いし、まぁ、ちょっと話すくらいかな」
 流石に毎日ジュネスというのもどうかなと思うし、何より不必要に立ち寄ってあまり目立ちたくはなかった。
「……じゃあ、きょうは早くかえって来る?」
 ぽつりと付けたされた言葉に思わず目を見開く。そういえば最近は完二やりせの救出、クマの色々でそれこそテレビの中に行き続けていたのだった。
 ちゃんと菜々子には伝えていたけれど少しは寂しいと思ってくれたのだろうか、思わせてしまったのだろうかと反省する。そんな流れを見ていたからか、完二が助け舟を出すようにこちらを向いた。
「先輩、こう暑ちいし、今日は早く帰った方が良いんじゃねーんスか」
 言われて完二を見れば、にやりと笑って、隣ではりせが少し残念そうな顔をしながらも笑っている。あれはいつも暴走した俺達が帰ってきたときに見せてくれる、仕方ないなぁ、の顔だ。あまりに分かりやすい顔に少し面白くなりながら菜々子の頭を撫でた。
「二人とも時間あるならちょっとあそこまで行こうか」
 きょとんとしている六つの目を見回して指差した方向まで菜々子を連れて歩いて行く。
 ぞろぞろと一分ほど歩いた先にあったのは小さな商店街にある自動販売機だ。以前の街ならコンビニもあったのだろうけれど、この町にはそんなものはなかった。
「ほら、菜々子、りせと完二。ジュースで悪いけど奢るよ」
 ついて来た二人にそう言えば、顔を見合わせている。
「え、いいの!?」
「いいんスか?」
 えーっと、と早速悩み出した菜々子に習うようにおずおずと手を伸ばそうとするので苦笑する。
「完二はさっきのお礼だ。りせは菜々子を見つけてくれたお礼だから気にせず選んで」
「……菜々子は?」
「菜々子は買い物してくれたお礼。ああ、でもあいつらには内緒な?」
 人差し指を口に当てて小さく笑えば、りせと菜々子、少し後に申し訳なさそうに完二も持って来た。これが花村なら奢る側でも奢られる側でももっと遠慮が無いのになぁと思う。ああ、でもそういえばあいつらには奢った事はなかったと思い直す。
「美味しい!」
「ねー、やっぱり夏は冷たいモノだよね」
「それは同感だな」
 三者三様の感想を漏らしながら、日陰でジュースを呷る。絵に描いたような夏の日だった。


 どうせなら堂島家にでも寄るかと聞いたけれど、二人とも明日提出の宿題を思い出したらしい。前からりせちーが好きなようだった菜々子が仕方ないねと言えば、益々、物凄く残念そうに今度は絶対ねと約束をして別れた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 一緒に入ったはずなのにそんなことを言われて少し笑う。制服を脱いで普段着に着替えて下に降りた時には、菜々子は買い物してくれた惣菜を冷蔵庫に入れてご飯を炊く支度を終えていた。
「ああ、ありがとう」
「ううん。いつも菜々子がやるから」
 そのいつもはきっと俺が来る前からのことを指すのだろうと分かって少し切なくなる。俺の時はともかく、世間一般的にはまだまだそんなのやらないだろうから。
「じゃあ、今日は片付けは一緒にやろうな」
「うん!」
 大きく頷く姿を見てどうやら選択は間違っていなかったのだと分かる。
 晩御飯まではまだ少し時間があるから居間にあるテーブルに二人で座る。菜々子は俺の真正面で鞄からノートを取り出すところだった。
「……懐かしいなぁ」
 そう、小さく呟けばきょとん、と目を瞬かせた菜々子が不思議そうにこちらを見つめる。小さな手が取りだしたのはすべてが平仮名の“けいさんドリル”だ。さらに取り出した教科書を断って手にする。見知った話や見たことも無い話もあった。女の子らしく綺麗で落書きもされていない教科書をパラパラとめくる。
俺がこれを手にして居たのは十年前のことかと思うとなんだかとても昔のような気がする。
「菜々子、夏休みは何するんだ?」
「いつもとおんなじだよ。ラジオたいそうとかごはん作ったり、……あと、しゅくだい」
 保護者向けだろう、夏休みの宿題一覧と書かれたプリントを俺に差し出しながら、菜々子は少し困ったような顔をして“けいさんドリル”を見つめている。そういえば菜々子は小学一年生なのだから夏休みの宿題も初めての経験なのだろう。可愛い絵柄で埋まった計算ドリルと漢字ドリルと日記帳。自分の頃と大して変わらないそれを一瞥して、うつむき加減の菜々子に声を掛けた。
「俺もね、夏休みの宿題あるよ」
「お兄ちゃんも?」
「うん、用事のない日は一緒にやろうか」
 分からないところは教えてあげるよ。そう言ってみればぱっと上げた顔に笑顔が広がった。
「いいの?」
「ああ、もちろん。一緒に頑張ろうな」
「うん!」
「時間が合ったら皆も呼んで遊ぼうな」
「ほんと!? 菜々子、なつやすみたのしみ!」
 約束だよ。差し出された指はとても小さく柔らかくてそして優しい感触がする。

 穏やかな空気の中、そういえば夏休みに直前に定期テストがあるのだったと思い出す。ちゃんと勉強しないとなぁと少し頭を掻いた。
「ねぇねぇお兄ちゃん、ごはん食べよう」
 電子レンジが音を鳴らせたのを聞いて笑う菜々子を見つめて大きく頷く。夏休みが始まったらもう少しご飯を作ってあげようと思う。叔父さんが食べたいと言っていた煮物も悪くない。菜々子もいるからオムライスもいいかもしれない。
 最近はテレビの中の捜索も徐々に上手く行くようになった。油断はしないに越したことはないが、それでも少し余裕が出てきたように思う。

 ジリジリ、ギラギラ。
 そうして始まりを告げるだろう最初で最後の夏休みが、キラキラしたものであるようにと願うのみだ。

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