あんなに暑かった夏も終わりを告げて、随分と過ごしやすい気温になった。
 いつの間にか恒例となった帰り道に声をかけて来たのはりせだったが、いつもより真剣さが増しているその顔に首を傾げる。
「どうした?」
「先輩……あの」
「うん?」
「勉強教えて?」
 上目遣いの至近距離で言われて思わず目を見張る。そんな様子を見ていたのか、りせの後方から声が聞こえる。
「お前なぁ……先輩だって自分の勉強があるだろーが」
「なんだよずりー! 俺にも教えろよ」
「えっ、花村君は同級生なのに教わる立場なの?」
「雪子、その真顔の疑問止めて。私にも刺さるから」
 わらわらと集まって来た何時もの彼等に、苦笑しながらあたりを見渡す。少し空白をおいた先に新たなメンバーを見つけて視線を合わせた。
「直斗、良かったら協力してくれ」

 結局皆でテスト勉強となったが、図書室では煩くなるだろうと、生徒がいなくなった自分たちの教室を使う。俺たちはもちろん、一年メンバーに直斗が加わってますます賑やかになったようだ。
「……なんというか、元気、ですね」
「そうだろう」
 少し疲れたように言ってきた直斗は、教え方が意外なくらいにとても上手かった。そしてそれ以上に戸惑いながらも皆と交流をしていたことに驚いたのだった。
「……僕も認めなくちゃいけないことがありますから」
 疑問を投げかければ直斗はそう言った。
 テレビの中に入って仲間が出来て半年が過ぎた。それなりにプライベートな会話もするようになって、事件の話し合いや捜索以外でも集まるようになった。そんな枠組みができた中でいきなり自分を見せろと言う方が酷く非常識だ。
 すでに固まった輪の中に加わることが容易ではないことは想像に硬い。
 そんな中、この輪に入ることを拒否することもできたはずだ。それをしなかったのは、やはり彼、彼女――白鐘直斗がこの状況にぶつかって行こうと決めたからだろうか。
「直斗は凄いな」
 だからこそ感嘆の声をかければ、直斗は笑って言う。
「先輩には敵いませんよ」
 ……どういう意味だろう。


「ただいま」
「お帰りなさい、お兄ちゃん!」
 玄関を開ければ、パタパタと菜々子が迎えに走って来てくれる。流石に今日は他の声が聞こえなかった。最近は俺が帰る前にこの家に誰か居座っている時だってあるからだ。主に花村とクマが。それが嫌ではなく嬉しいと思えるのは、きっと菜々子が嬉しそうだからなのだろう。
「きょうはね、しゅくだいがでてたからやってたの。菜々子ぜんぶおわった!」
「そうか。菜々子は偉いな」
 頭を撫でれば嬉しそうに笑うから俺も嬉しくなる。
「お兄ちゃんのしゅくだいは?」
「終わったよ。そうだ菜々子。今月からはすぐ暗くなるから外に行くのは辞めような」
「えー……」
 夏の間はテレビの探索が無ければ、釣りや散歩、時間が空いている仲間と遊んだりと出来たのだけれど、冬が近づいて来たからと理由をつける。
 それは単純に暗いからではなくて。もう事件も解決したのだからいい筈なのだけれど、嫌な予感が、消化不良のしこりがほんの少しだけ感じる時があるからだったりもする。
 もちろんそんなことなんて知らない菜々子は残念そうな声を上げた。それを聞いてまた頭を撫でて一つ提案をする。
「じゃあ菜々子、今日は俺の手伝いしてくれる?」
「おてつだい?」
「そう、これ」
 ひらりとそれを見せれば菜々子は隣に来て嬉しそうに頷いた。

 かさりかさりと音を鳴らせて、沈黙が降る。破るのはガラガラと玄関を引く音だ。
 どうやら叔父が帰ってきたらしい。菜々子はちょうどお風呂に入っていてまだ気付いていないだろう。きっと出てきたら喜ぶだろうと思う。
「コーヒー飲むか?」
「はい、ありがとうございます」
 適当な挨拶と支度を終えて叔父はマグカップを二つ用意してきてくれた。隣には砂糖があるので大人しく使わせてもらうことにした。
「……お前は涼しい顔でブラックかと思ったんだがな」
 物珍しい顔でそんなことを言うので、苦笑気味で砂糖をしっかり入れたコーヒーを飲む。
「飲めないこともないですけど、やっぱりブラックは叔父さんみたいな大人が似合うんで」
「なんだそれは」
「俺はまだまだ子供だって話ですよ」
 温かくて甘いコーヒーを口にいれて言えば、ブラックを飲んだ叔父が苦そうな顔をする。もちろん、それが理由ではないだろう。
「その発言は大人だと言い張る奴よりも、扱い辛いと俺の勘が告げてるぞ」
「刑事の勘ですか?」
「……いや、父親としてだ」
  ぽつりと言われた言葉に思わず目を見張った後に声も出さずに笑えば、叔父は罰の悪そうな、或いは恥ずかしそうな顔をして目線を落とした。
「そ、それはそうとお前、最近はどうなんだ?」
 叔父が続けた言葉は今までの流れからは不自然だったけれど、けれどそれはただ単に照れているだけだと分かったので、そんな不器用ば優しさに思わず笑ったまま話を続けた。
「そうですね、最近は菜々子や皆と遊んでますよ」
「そういえば、あの白鐘直斗も加わったみたいだな」
「ええまぁ。叔父さんだって直斗のこと良い奴だって言ってたじゃないですか」
 少し眼光が鋭くなったような気もしたがここは正直に頷くことにした。
「……巽といい、よく慕われてるんだな」
「別に、対したことはしてないですけどね」
 半分本当で半分嘘を口にしてコーヒーを口にする。
 慕われているという自覚がないわけではないけれど、些か過大評価な気もしていた。皆と変わっていることといえば、影が現れなかったこととペルソナを多く扱えること。他に何があるというのだろう。いっそあの仲間達の方が特別なのかも知れない。俺は何にも持たない。
「……俺はただの男子高校生ですよ」
 思考そのまま繋げた言葉に、どうやら音に出したのだと気付いたのは少し後になってからだった。その間に叔父は酷く驚いた顔をした後にぎこちない笑顔を見せた。
「すまない。そんなつもりはなかったが……気に障ったか?」
「え」
「お前がそんな顔するのは珍しいからな」
「そんな顔?」
 その問いには答えず、叔父はまるで慰めるかのように肩を軽く叩いた。
 思わず頭を下げればマグカップに入れられたコーヒーが視界に入る。それが映すのは何の変哲もない、いつも通りの顔をした自分がいた。そうして叔父の手の感触が無くなったのを感じる。
 そのまま全て飲み干してみたけれどコーヒーの味もやっぱり変わらなかった。

読書と食欲と家族と