「およよ、センセーが一人でジュネスにいるなんて、珍しいクマね?」
 稲羽市に訪れて家と学校と、それと同じ位訪れているジュネスのフードコートでノートを広げていれば、クマが物珍しそうに声をあげた。
 どうやら昼休みらしい。人間の姿をしながらひょこんと顔を見せたので、笑って席に座るように促した。
「ちょっとな……それにしてもクマはもうジュネスに馴染んでるな」
 少し前なら子供たちも少し驚いて遠巻きに見ていたクマに、手を振る様子をいくつか見つけて笑う。
「そりゃークマはジュネスのマスコットキャラクターですから」
 パラパラと数行しか書かれていないノートをめくりながらクマと会話を交わす。
「クマは稲羽でオススメなところはないか?」
「? そうクマねー……やっぱりジュネスクマ!」
「おお、流石マスコットキャラクターだ」
「っちゅーか、ジュネスくらいしかないクマねー」
「……まぁ、それもそうだな」

「 くらいってなんだ! くらいって!」

 まるで女の子みたいな口調で話せば、後方から気配がしてすぐにクマの頭に手刀が落ちた。
「ヨースケ! 暴力反対クマよ!」
「うっせぇ、営業妨害なこと言うな! 変なことばっか覚えやがって……」
 ため息を吐いて呆れた顔を向けてきた花村に、弔いのように持っていた肉ガムを手渡す。
「……サンキュー……けど、気持ちだけもらっとくから里中に渡してくれ。つかお前、なにしてんの?」
 覗き込むように机に身を屈めた花村は、手元にあったノートを見つけて少し止まる。
「げっ、なんだよ、テスト期間でもないんだから勉強なんて」
 これだからお前は、と言われもない避難を浴びたので首を降りながら、先ほどまで書いてあったページを目前に突き出した。

「高台、ジュネス、沖奈、ランチ……なんだこれ?」
「まるでデートプランみたいクマねー」
「いやいや高台はさすがに……なぁ?」
 ぽそりと溢したクマの一言に一瞬止まった花村がこちらを伺ってきたので首を傾げた。
「そうだけど?」

「「…………えっ」」

「センセイも隅に置けないクマね! 相手は誰クマ? クマもデートしたいクマよ! デート、それは青春のきら」
「いやいやいやちょっと待て! 聞いてねーよ! 誰だよ天城かりせか!? まさか里中? でも直斗とか他の奴らも……って、当てはまる相手が多すぎんだけど!?」
 その二人の驚く様はなかなかで。一緒に住んでいるからかとても似通っている。
「とりあえず、落ち着け」

 昼休みを終えそうだったからか、相手が菜々子だと伝えても詳しい話を聞かせろと花村は言ってジュネスに留まらせた。
 ノートは中々埋まらない。とんとん、とシャーペンをつつく。
 ここにきてもうすぐ一年が経つ。俺は稲羽市について詳しくなったのだろうか。例えばあの店の人はぶっきらぼうだけど優しいとか、あの姉妹は仲直りをしたとか。そんなことは知っているけれど。
 きっと、もっと住んでいたのなら、住み続けることが出来るのなら、

「センセイ?」
「……クマ」
「どうしたクマか? なんだかアンニュイな感じクマね」
 ぼんやりと考え込んでいたらバイトを終えたらしいクマが今度は着ぐるみ、むしろ本体なのか、とにく始めて会った時の格好でこちらを伺ってきた。首を横に振って否定すれば、クマは少し安心したように椅子に座る。よいしょ、と掛け声をかけて座るあたりとても人間のようだ。
「センセイ、ナナちゃんとデートクマなんて羨ましいクマ」
「そうだろう」
 頷いてノートをしまう。たいした結果を書き込むことができなかったそれを、目線で追っていたクマが不思議そうな顔を向ける。
「ねぇセンセイ、もうすぐ何処か行っちゃうクマ?」
「え、あ……ああ」
「クマ、ニンゲンのそういうこと、ヨースケに言われてもよくわからないけど、センセイと今みたいに会えなくなるのは悲しいクマ」
 前屈みなせいか、殊更落ち込んでいるような気がしてしまう。
 転校だってこんなに堂々と聞いてこられたのは初めてかもしれなかった。
「……うん。ありがとう」
 ナナちゃんも悲しいクマね、と手渡したジュースを飲んでいるクマを見る。
「センセイも悲しいクマ?」
 ふと思いついたようにそんなことを言うものだから、少し言葉に詰まる。
「……そう、だな」
「センセイ、クマは癒しの存在なので、どーんと抱きしめても良いクマよ! オンナノコ以外なんて出血大サービスクマ」
 ポン、と胸を叩いてクマがそんなことを言うものだから、少し寄りかからせてもらう。自慢の毛並みは思ったよりも柔らかかった。

 名残惜しくて別れるのが辛くて。
 けれど悲しいなんて考えていなかった。
 でもきっとそれが今の気持ちに一番近い。
 だってこんなにも仲間達がいる。堂々と寂しいと言ってくれる。それはとても幸せで大切で、だからこそ悲しいことなのだから。

「……何やってんの?」
 まさか本当に実行するとは思っていなかったらしいクマは驚きながらなぜか感動していた。それからすぐに花村が困惑した声を掛けてきたので、目線だけそちらに向ける。
「クマの毛並みを堪能してる」
「……ああ、そう」
 てっきり呆れるような顔をされると思っていたのだけれど、花村は少し考え込んでクマとは反対側の椅子に座った。
「花村も混ざるか?」
「混ざんねーよ。怪しすぎるだろ、男子高校生二人がクマに抱きついてるなんて」
「ヨースケは有料クマ」
「なんでだよ!」
 側で行われる応酬にいつも通りだと笑って、クマに寄りかかるのを止めてそのまま残っていた水を飲む。
「つーか、本当の兄妹みたいだな」
「俺とクマが?」
 こちらをぼんやり見ていたからそう返せば、花村は疲れ切ったように立て肘を突いて苦笑する。
「……じゃなくて、お前と菜々子ちゃんのこと」
「そうか? でも、そうなら嬉しい」
「まぁお前菜々子ちゃん大好きだしな。まぁ俺も好きだけど」
「クマもナナちゃん好きクマ!」
 菜々子は純粋で優しくて可愛いから皆に人気がある。だからきっと俺が居なくなっても皆が気に掛けてくれるだろう。それはきっと絶対だった。だから、だからこそ少し寂しいのだろう。菜々子がどうこうじゃなくて、俺がそこにいないということが。
「考えすぎなんだよ、菜々子ちゃんならお前とならどこだって嬉しそうじゃん」
 ぼんやり物思いに耽りながら、仕舞っていたノートを取り出してめくる。その白いノートを見つめながら花村が声を掛けてくる。
「ジュネスに居た時だって、夏祭りの時だってさ、……病院で見舞いした時だって。菜々子ちゃん、お前が居るとすげぇ嬉しそうだったし。だったらお前と一緒ならどこだっていいってことだろ」
「……」
「ったく、変に思い切りいい癖になんでこういうのが鈍いんだ、うちのリーダーは」
 やれやれと言う花村を見て、まるでドラマのワンシーンのようにクマは指を立てて横に振った。
「ヨースケは分かってないクマね。そういうところがオンナゴゴロをくすぐるものクマよ」
「ちょ、なんだその言い方誰に教わった!?」
「リセちゃんが前に言ってたクマ」
「うわっ、よりによってりせかよ。信憑性ありすぎ……」
 うな垂れる花村と笑うクマ相変わらずの毎日がそこにあって思わず笑う。二人はどうしてか驚いてそうしてまた笑った。
 
 白いノートを閉じて今までを思い出す。
 稲羽市は今まで住んでいた場所とは違って所謂田舎町だ。だから菜々子と行った場所は本当に数えるくらいで、でもどこだって笑っていたから、悔しいけれどまた花村の言う通りなのだろうと思う。
 まるで最初、菜々子の行動が遠慮だと思っていた頃、花村にそれは彼女の願いなのだと指摘された時みたいだと思い出す。
「どうしたよ?」
「……なんか花村の方が菜々子のこと分かってるみたいで悔しいと思って」
「菜々子ちゃんに関してじゃないとこんなお前見られねーからな」
「ナナちゃんはセンセイの弱点クマね」
 まさにそれだと笑うクマと花村に少し救われた気がしてノートをしまった。
 そうだ。きっと明日は菜々子と笑って出かけられる。それが一番大切なことなのだから。





「行ってきます!!」
「慌てると転ぶぞ菜々子。……行ってこい」
「はい、叔父さんも後で」
「お兄ちゃん、早く早く!!」
「ああ」
 頷いたら暖かくて小さい手で握られる。もう儚い感触もない菜々子を見つめた。
 どうかこの子の笑顔を沢山見られますようにと、とりあえず今日のところは楽しもうと足を踏み出した。

 俺の手を握る大切な妹。見送ってくれる大切な家族。大切な人たちがいる町。大切な町。
 目線を上げれば桜が少しずつ咲き始めていた。その綺麗さをも心に留めてみせる。

 ああ、なんて沢山の大切なものが出来たのだろう、俺はとても幸せ者だ。

何時でも会いに来るよ。