適当に食事を済まして、宿屋へと戻ると一足早く休んでいたイオンがベッドに腰掛けながらこちらへ困ったように笑いかける。
「すみません……僕の体力がなくて皆さんの足手まといになってしまっていますね」
「まったくだ。分かってんならさっさと寝ろよ」
 あくびをひとつ噛み締めて日記へと向かう。記憶障害が生じた時のため、なんて言われているが正直面倒くさい。
 イオンの顔色が悪い、と誰かが言い出さなければもっと早く帰れるのかもしれないけれど、それでも明日くらいにはケセドニアに着くらしいし、そうしたらもうバチカルはすぐそこらしい。
「ルークは、優しい方ですね」
 ふいに聞こえた言葉で反射的に肩が揺れた。その言葉はひどく珍しかったが、彼から言われるのはもう珍しくもなかった。
「……お前ってさ、なんでそんなこと言うんだ?」
 適当に書き終えた日記を閉じて、イオンの向かい側のベッドへと移る。イオンは少し不思議そうに、でもいつものように優しく笑っていた。
「そう思ったものですから」
「言われたことねーよ」
「そうですか?」
 イオンはそこらにいる女なんかよりもずっと静かに笑う。
 嘘なんて知らないような言葉は慣れなくて、どう対処していいか全く分からない。
「もうすぐバチカルですね」
「だな。やっと帰れるぜ。……ま、帰ってもどーせまたつまんねー毎日だろうけどな」
 今回は不可抗力、というものだったのだから、帰ったら変わらず退屈な毎日が始まるんだろう。
 そこまで考えて野宿は嫌だけど、帰ったところでたいした良いこともないのだと思い付いてため息が漏れる。記憶障害が起こる前までは外に出ていたんだろうか、そんな過去は知ってもどうしようもないけれど、改めて思う、どうして俺はずっとあそこに。
「僕の知ってるルークは、あなたですよ。優しい、今のルークです」
「は? な、なんだよいきなり」
「覚えていてくださいね」
 思考を中断された言葉は全く意味が分からなかった。けれど理由すら受け付けないような口調だったから、分かった分かった、と投げやりに返すとイオンはもう一度念を押してそのまま寝てしまった。そんなイオンの寝顔はいつもの雰囲気と変わらなかったから、余計にさっきの口調以上の驚くくらいの強い瞳が印象的で他に何も言えなかったのだ。
「変なヤツ」
 言葉に出したのとは反して、顔が緩んだのが何故なのか自分でも分からなかったけれど、ありがとう、を知らなかった俺はその言葉に返すことすらできなかったけれど。
 それはやっぱり、どこかが温かくなるような嬉しい言葉だった。

既往