頭がぼうっとする。
 声がうまく聞き取れない。
 思考がまとまらない。
 体が重い。
 なにより全身が熱い。

 どう転んだってこの症状は、


「風邪ですねぇ」
 語尾を上げるような口調で言ってきたのはジェイドだった。それを聞くなり力づくでベッドで寝ているようにとルークに押し込まれそうになり、抵抗すればいよいよトクナガを巨大化させようとしていたアニスを見つけとうとう観念した。
 ガイ自身も自覚はあったからこそ、こうして今は大人しく寝ようと努力している。

「ガイ、これナタリアとティアとアニスが作った。……安心しろよ、調理したのはアニスだから」
 みるからに病人の料理として出されたおかゆとルークを交互に見ていると付け足された言葉に安堵する。きっと風邪のせいもあって顔に出てしまったのだろう。いくら失敗する確率が初めの頃より低くなったとはいえ、普段より免疫力のないガイにナタリアの料理を食べさせるのは気の毒というものだった。そこまでどうにか推測できてガイはルークから料理を受け取った。
「悪いな。ちょっと疲れただけだ。寝ていれば治るから」
「……だよな。つーか、マジごめん」
 心当たりのない謝罪にガイは首を傾げた。
「ガイは俺なんかよりしっかりしてるし、まさかいきなり倒れるとは思わなかったんだ。カースロットでも復活したのかと思ったくらい。気付かなくって」
 だからごめん、と頭を垂れたルークにガイはあまりうまく動かない頭を振る。カースロットという単語が出た瞬間に少しだけ声が鈍ったことだけは分かって、居た堪れなくなる。
「ルーク、お前のせいじゃないからな。俺の自己管理の問題だ」
「……でも、ガイは俺の体調が悪かったらすぐ分かってくれただろ」
 屋敷での生活の中でそんな経験は、いつのことを指しているのか分からないくらいに沢山あった。ルークもそれを分かっているから後悔しているのだろう。
 ――そんなの、ルークを復讐の相手として見ていたから、常に目を離さずにどう殺すか考えていたからだけなのに。
「何言ってんだよ、俺よりお前の方が苦しそうじゃないか」
 笑顔を向ければ少しだけ照れたように顔を背けられる。それが屋敷にいた頃にルークが風邪をひいた次の日のようで懐かしさにほほが緩む。
「それに今はそれどころじゃないからな」
「……え?」
「ローレライの解放、もうすぐだもんな」
「あ……ああ、うん――そうだな、もうすぐ……」
 背けられた顔がガイの方を向いて、一度だけその瞳がほんの少しだけ揺れたのをぼやける視界のなかでも見逃さなかった。
 きっとルークはガイの、仲間の体調を気遣えるほど自分の体調が良くはないのだ。夜に魘されているものとは違う原因がそこにあるのだと思う。
 以前よりもミュウがルークの傍にいることや、ジェイドのらしくない物言い。ティアの前とは少し違うルークへの目線。どれもどれもほんの僅かな変化にすぎないけれど、それらが集まればなんだって予想は付いた。一番当たって欲しくない予想だったから尚更。
 きっともう、どうすることもできないのだ。

「ルーク、無理するなよ」
「……はぁ? お前が何言ってんだよ。風邪ひいてんのガイじゃねーか」
「まぁ、そうなんだが」
「っはは。俺のこといいから、さっさと食って寝とけよ」
 ――きっと休んだって、薬を飲んだって治らないのはルークの方じゃないのか。
 そんな言葉はアニス達が作ってくれたものと一緒に自分の中へと飲み込んだ。風邪さえ引いていなかったらローレライの解放、なんて言葉にだって出さなかったのに。風邪は頭を沸騰させてくれて、言うはずのない言葉を出してしまった。そして実際に心の中はもっと言いようのない感情が渦巻いていたのだけれど、それを言葉に出さないほどにはまだ頭は正常に働いてくれた。
「なんか他に持ってきて欲しいもんある?」
「いや、いいよ。食べ終わったから、これよろしく」
 食器を手渡すと少し満足そうにルークが受け取った。
「今日と明日は寝てろよ」
「おいおい明日はもう大丈夫だって」
「ガイは上手いから俺にはよく分かんないからさ、あんま無理すんなよ」
 まだ笑みを絶やさないままに言うルークに頭の痛みが増す。
 ――お前が一番無理してるの、気付かないとでも思ってるのか。
「……もし明日の朝、のこのこ起きてきやがったら、ジェイドと陛下に協力してもらって、マルクトでのガイの仕事の周りにメイドすげー増やさせてやるからな」
「おい、それだけはやめてくれ!」
「だったら寝てろっつーの! おやすみ!」
 納得していない気持ちが伝わってしまったらしく、ルークは表情を険しく変え強めの音がした後にドアが閉じられた。
 一息おいて上半身だけ起き上がっていた体をそのままベッドにすべりこませる。扉の向こうではなんだか小さな話し声が聞こえたけれどもう、聞き取れるほど余裕はなかった。


 ルークが風邪を引いた時に、もっとこんな風に心配してあげられれば良かったのだ。心のどこかで「そのまま死んでしまえばいい」なんて考えないで。きっとそんなことを言ったらルークは仕方ない、と苦しそうに笑うのだろうけれど。
 もう絶対に殺せはしない、レプリカだったルーク。昔のことばかり考えていた俺に何かを与えてくれたルーク。なのに俺が手を下さないと決めても、イオンが消えて瘴気が消えてレプリカだった姉上が消えて、そうしてルークも消えていく。
 消えてほしいと絶望を味わえばいいと、そんな想いを捨てたとたんにこんな結末かよと、自分を嘲笑せずにはいられない。結局手放せないのは、俺のほうだったんだ。誰よりも自分勝手なのは俺じゃないか。そんな思考をぐるりとして一層酷くなったような頭の痛みを誤魔化すように一度咳をして目を瞑った。

 ――自分の無力さはあの時よりも大きいかもしれない。年を取って大人になったと言っても、結局誰ひとり俺は救えていないじゃないか。

liar