水をください。
 光をください。
 土をください。
 愛をください。





「ご主人様? まだ眠いですの?」
「……」
「みゅうぅぅ〜〜」
(……相変わらずうぜぇ)
 宿屋のそれより広めのベッドに、突っ伏して寝ている俺の頭上辺りを跳ねるような音を撒き散らしながらミュウは何度か往復している。ミュウの対応からしてきっと朝は過ぎて日差しが強くなってきたのだろうと、窓からの光とともに判断する。
 そういえば、前はやたらと起こしてきたメイドも最近は一度や二度の回数であきらめているようだ。もちろん、一度目で目が覚めることがほとんどだけれど、それでも外に出ること自体したくなくなっていった。

 ――レプリカのくせに、

 そんな単語ひとつが脳内に入ってきて何度も何度も反芻して反響する。目を閉じても耳をふさいでも唇を噛んでも聞こえる音量は変わらなかった。
「ご主人様、おはようですの!」
 起き上がってみれば、手らしきものをぴょこんとあげるミュウに、ああ、と苦笑気味に反応して、窓の外をみつめる。今日も天気はいいようだった。
 眠ろうとするときはいつも思う。どうせなら目覚めなければいいんだと。このまま起きなくたってきっと誰一人困らない。母上は少しだけ悲しそうな顔をしてくれるかもしれないけれど、大丈夫だ、アッシュが本物なんだから。
 此処は城の中、城の限られた箱の中。常にいる見回りの人物、そのひとりひとりの目線が俺には全部悪意にしか見えなくてやはり眠るしかできない。もし俺が剣を取り出して自分の腹部に当てたら皆どういう反応をするのだろうと一瞬考えて、すぐに浮かんだ想像に頭を振った。ガイがいたら違ったのか、ナタリアに会えたら違ったのか、そう考えても結局約束した手紙すら来ない。
 だからもう死んでしまってもよかったんだ。もうヴァン師匠も止めたのだし。俺の存在はもう。

 けれど、ひとつ留まる言葉もあった。
 周りが疑惑と嫌悪と悪意で見つめるなかたった一人のメイドだけ、まっすぐな瞳でこちらをみたことがあった。
 最初は何を言っているんだ、と思った。きっと変な顔をしてしまったに違いない。けれど彼女はそう笑った。ああ、笑顔ってものはあんな表情だったと思い出させてくれるような顔だった。あの一言が忘れられない。

 剣術の技量は“人を殺せる”程度には上がっているのを自覚していた。きっと、近くの平々凡々な騎士なら殺せるかもしれない。けれどそんな気は毛頭なくて、ただ自分が消滅すればいいのだと思う。例えば、そう、ティアはどうしているんだろうか。苦しくないだろうか、辛い顔を無理していないだろうか、だったら全部俺が変わって俺が消えてやるのに。
 死にたい理由は山ほどある。
 例えば、大罪だったり、俺の存在意義だったり、レプリカという存在そのものだったり。
 死ねない理由なんてない。
 けれど今生き続けている理由は、自分がどうかとかそんなものはもうどうでもよくて、単純に、あの言葉の理由とか、こうして馬鹿みたいに隣にいるミュウとか、そんな小さなものだった。小さいものなのに、それがどうしても引き止めて死ねなくて、いっそ俺の存在なんて最初からなかったんだって思えればどれだけ楽なんだろう。もう存在すら風化してしまえばよかったのに。

「ご主人様、ご飯食べないですの?」
「んー……いい。お前勝手に食ってこいよ」

 少し哀しそうな顔をしたミュウに「主人命令、お前は食ってくること」と告げるとぴょこぴょこという音を出しながら用意された場所へと向かっていった。
 あまり動かないせいか、それともほかの理由からか。暇つぶしの趣味で剣の稽古はある程度しているのに前ほど食欲はなかった。痩せただろうか、それすら分からないけれど。

 のそり、と騎士を視界に入れないようにこそこそと中庭に出る。唯一すべてを把握できる俺の場所。
 よく立ち入る場所だけれど、そういえば前に来たときがいつだったかは忘れてしまった。
 花は綺麗だ。メイドも手入れをしているけれど、なによりペールが愛情をこめて育てている、らしい。
 ならこの花たちはペールがいなくなったらどうするのだろう。愛情を注いでくれた人がいなくなって、この花はそれでも綺麗に咲き誇るのだろうか。それとも誰からも必要とされなくなったら、枯れてしまうのだろうか。
 花にとって本当に必要なのはなんなんだろう。
 水か、光か、土か、それとも愛情か。

 眩暈がするほどいい天気だ。眩しすぎる太陽を遮断するように手を伸ばせば、視界は自分の手ひとつだけになった。
 退屈だった日常が悪夢のように変わって、それでも俺は確かに何かを掴んだはずなのに。
 悪夢が自分の責任だと知り、足掻いて足掻いて、がむしゃらに走って、何かを掴んで。
(何を掴んだんだろう、何が見えていたんだろう、あの頃の俺は)
 世界から隔離されたこの空間は俺にはお誂え向きだとは思うけれど、この場所すらもう俺のものではなくなってしまった。この場所すら俺にとっては過分すぎる。だってほら、ここにはこんなに綺麗な花が咲いている。
 俺に必要なのはなんだろう。俺が必要としているものはなんだろう。
 ミュウが、あのメイドが、ああも自分を信じきったような瞳でこちらを見なければ、もっともっと早く、俺は、死ねたはずなのに。死ぬべきなのに。なのに死ねない。死にたく、ない? まさか、そんなはずはない。もう消えてしまいたいんだ。死んでしまいたいはずなんだ。

 ああけれど。きっと今の自分はどっちつかずな顔をしている。
 俺は分かっていたはずの事実を突きつけられて、やはりなんにも分かっていなかったと、それが現実になって初めて分かったのだから。





 水をください。涙は枯れ切ってしまったけれど。
 光をください。浴びられる存在ではないけれど。
 土をください。城から出歩くことすらできないけれど。
 愛をください。もう誰も必要としてくれないのだろうけど。

 生きる意味を、俺にください。


 なにもくれないなら、死をください。

消失志願希望者