周りが寝静まっても眠れそうになくてその場から離れると、大木を見上げているルークの姿を見みつけた。暗くて表情はよく分からないけれど声をかけると驚いた声で返される。
「アニス、お前どうしたんだよ。寝ろよ」
「ルークに言われたくないよ。外なんか出て危ないじゃん」
ルークは悪い、と一言言ってみせたが、そのまま移動せずに視線を元に戻した。アニスもそれ以上は咎めることなく、ルークの傍へと近寄りそのまま大木に背を預けるように座り込んだ。
夜の森はさらに静まっていて、自分以外に生物がいないような気にもさせてくれて、それが嬉しいようなひどく心細いような思いがある。独りになりたいときはとてもいい場所なのだろうけれど、独りになりたいときは限って独りでいたくないときでもあるような気がして、こういった場所がアニスは少し苦手だった。
「ルークがイオン様としっかり喋ったのってチーグルの森だよね」
「あ? あ、ああ……まぁ、な」
不意に出てしまったアニスの独り言に近い小さな確認。けれど返答のルークの言葉がとても戸惑っているとすぐに分かった。相変わらず分かりやすい人だと思う。けれど反面自分だって笑っているつもりだったのに、声が震えてしまっていて相当分かりやすい。こんな声をしていたらルークはチーグルの森にはアリエッタとの思い出もあるのだからと、きっと更に気を遣うのに。
「イオン様はルークのこと優しいってよく言ってたもんね〜」
今度こそいつも通りに返せた言葉をルークに投げかける。
「アッシュといたときにイオン様はルークを仲間だって言ってたし。あれってルークがレプリカだって意味もあったのかも」
「かもな」
笑った声が聞こえて内心ほっとする。
やっぱりルークはもうレプリカだからとかアッシュの代替品とかいった考えがなくなったんだろう。
ルークは凄く悩んでおかしな答えに行きついたりもするけれど、最終的には一番いい答えを出して進んでいるような気がした。それが少しだけ羨ましくて悔しかった。だからルークはもう最後の最期まで間違えたりすることはないのだろう、間違いだらけの自分とは違って。
「イオンは本当お人好しっつーか、別に俺、アイツになんかしたわけでもねーのに」
アニスがどれだけルークに怒ってみせても何を言っても「ルークは優しい人です」の一点張りだった。それどころかルークやアリエッタについて何かを言うたびに悲しそうな顔をしていた、そんな表情の意味が今なら分かる。レプリカである彼はきっとそんな言葉の一端にも痛みを感じていたのだろう。
「イオン様はそーゆー人だもん」
二年しか生きていないあの人は自分のせいで死んでいった。何度も何度も夢に出てきても、それでも彼は笑っている。
「森はイオンみたいだよな」
ポツリといった言葉が脳に響く。確かにそうだ。
森の木の葉の擦れ合う音も、風が吹いてざわざわという音も静かな今みたいな森も彼のようだ。優しさはきっと辛いくらいに人を傷つけることだってある。中傷なんかよりもずっと強い痛みを放つことがあるのだ。
レプリカという存在は人間として生まれたアニスには些細にすぎないことも悩みとなってしまうことがあるのだろう。今隣でどこかを見つめているルークだって、イオンだってそうだ。
それを感じ取って、尚更自分はルークとイオンをひどく傷つけていたのだろうと思う。
「優しい、なんてイオンに一番似合うのにな」
「……そう、だね」
――でもね、ルークも優しいよ。
どうしてか拒絶のような壁を感じる。確かにルークは隣にいて、今同じようにイオンという少年の思い出を話しているのにどこか遠かった。
ルークはイオンに近い気がする。それは決して存在がとかレプリカだからとかではなく本質的に。
それきり喋らなくなったルークをアニスは気付かれないように、そっとその顔を見上げた。座っている位置のはるか上の顔はどこを見ているか分からない。
いつからか感じている、嫌になるくらいに嫌な方向にしか働かない胸騒ぎ。漠然とした恐怖が襲ってくる。理由を考えるのも恐ろしいくらいのなにかが。
「ルーク」
名前を呼ぶとやっとこちらを向いた。月の光で初めて表情が浮かんだルークはやっぱり予想していたように笑っていた。月の細い光に反射してその笑顔はとても純粋無垢で綺麗だった。
だからなのか、白くて弱くて細くて優しいイオンと同じように、今のルークの瞳は痛みに耐え抜いて、なにかを押し殺しているようで、アニスはなにも言えなくなってしまった。何を伝えたかったのかもよく分からなくなってしまった。
「……そろそろ寝よっか」
ひどく歪んだ笑顔になってしまった。自分からルークの顔が見えるのだからきっとルークは気付くだろう。繕うことは慣れていたはずなのに。
「そうだな。アニス、また明日な」
ルークは笑って手を振って歩き出した。
気付かない振りをしていることは明白だった。本当に分かりやすい人だ。
また明日。
ルークとアニスには明日がある。
おはようと言って、また旅をする明日がある。
あるはず、なのに。
風が吹いて森がざわつく。胸のざわつきを象徴しているみたいで苦しくなる。ルークの笑顔はもっと明るいはずだったのに。どうしてそんなに彼の最期の笑顔とだぶって見えるのだろう。くるしいよ。
「……嫌いになりたかったのに」
小さな、小さな声で呟く。
私を待っていてくれる人も私を置いていく人も置いていった人も、本当にどうして、そんなに。
「……いやだよ」
ルークが見えなくなって森がさらに暗くなった気がした。月の光はもう見えない。
そうして一際大きく、森がなく。