「だって、これじゃ進んでるかどうかも分かんねーじゃん」

 他人の目線を感じながらぼんやりと目の前の建造物を見つめる。周りの視線に少し驚愕という感情が混ざっているのを感じながらも目線をずらすことはせずにゆっくりと目を瞑る。
 何時だったか彼がぽつりと漏らした言葉を思い出す。ゆっくりと降りていく仕様のそれは本来、周りの情緒だったり風景だったり、豪勢な装飾品を愉しむために置かれていたのだろう。訪れた時は状況が違い周りの景色どころか死角を作らないよう、ただ冷静に駆け足で通り抜けていったものだけれど。
 彼はその時お世辞にも“好ましい人物”とはいい難く、そうして酷く置き去りにしていたとも思える。あの言葉は苛々を体言していると思っていたが、もしかしたらその台詞の中に拗ねるという感情も押し込んでいたのかも知れない。最も今となっては確認する術すらないけれど。

「大佐! 陛下知りませんかぁ?」
「おや、アニス。陛下へのラブレターですか?」
「流石に違いますよぅ。アニスちゃん個人の手紙だったらこんなに走り回ってませんよ」

 気配を消すことなく、ゆらゆらと髪を揺らして現れたアニスは見慣れた紙を持っている。身を翻して続けるとアニスは疲れきった顔をこちらに向けて、くたり、と顔を伏せた。
 久しぶりというには時間が短くつい最近というにも当てはまらない曖昧な再会は、昨日まで旅をしていたかのように軽快で相変わらずなものだった。

「もう、陛下に渡すためにわざわざダアトから出向いたのに。大佐ー、探してきてください。アニスちゃんヘトヘトー」
「何言ってるんですか、私のような老体に鞭を打って動けというんですか? アニスはまだ若いんですから、ほら頑張ってください」
「……うっわ、それお爺さんみたいな台詞ですよ」

 半目で言われたが、どうやら探し疲れたアニスはここから動く気はないらしい。
 それこそダアトとマルクトを繋ぐ上での重要文書ならば、こんな疲れたとしゃがみ込む真似はしないだろう。アニスは年齢不相応なほどその点の行動を弁えている。それ故、彼女の持っている文書は緊急性は高くなくとも、それなりに重要なものなのだろうと勝手に結論付けた。
 この大国を統治する幼馴染と称されるあの存在は、幼少期からこうして隠れることが上手いのだ。それ故に家臣や幼馴染や使者を軽く混迷させる原因を作ることもあるのだ。けれども不思議なことに、国を左右される大事の時にはちゃっかりいつもの場所で鎮座しているのだから、統治者として優秀なのかそうでないのか甚だ疑問が残るところではある。

「分かりました、仕方ないですね」
「……え!?」
「ガイに頼んでくるので待っていて下さい」
「……ですよね」

 アニスの信じられないようなものを見るような表情は、けれど後半の言葉により納得のそれへと変化していった。
 今やブウサギの世話だけでなく陛下の捜索隊としても第一人者となってしまったかつての仲間の名前を出す。貴族とは名ばかりの、やはり使用人が余程似合う彼にかかれば、それなりの時間で陛下を見つけてくれるだろう。
 確か今はブウサギの散歩の時間だったはずだと、踵を返して宮殿と称される建物から外へ出るために足を運ぶ。

「で、大佐は何してたんですか? こんなところで」

 どうやら付いてくるらしいアニスは、やはり年齢の為か疲れた表情はもう消え去っていた。伊達に世界を巡る旅をしていた訳ではない。何しろあの旅の中で行動を共にした人物の中で、今後心身共に大きく成長するだろう人物はこのアニスを除いて他にいないだろう。そんなアニスから出た言葉は陛下の住まう中心部でぼんやりと視線を投げ、普段とはきっと違うだろう雰囲気を出していた己への想定内の疑問だった。
 ガイの姿を見つけようと走り出す直前に言われた疑問に、くすり、といつもの微笑を携えて言って退けると、彼女はよく分からないと首を傾げ、けれどいつものことだと思ったのか、それ以上追求はしてこなかった。

「遠回りに違いないな、と思いまして」





 左右の歩幅も違うそれは、急ぐ状況では走るどころか歩くことさえ難しい。
 くるりくるりと回りながら進んでいくにつれ、方向感覚すら失いかけない。
 何時かの彼は、限りなく近い要素を持つ違う彼が訪れた事のある、全ての物事の根源といっても過言ではない嘗ての城の中でその言葉を放った。そして中心部の空洞から飛び降りようとして幼馴染の使用人に止められた事があった。
 浅はかで冷静さを欠いたその行動を、あの時咎める事も褒める事も、また気にする事自体しなかった。
 向こう見ずで一つ間違えたらそこにいる人間すべてを巻き込みかねない軽率な行動。
 けれどもしかするなら、面倒だという理由だけでなく同じ存在で在った導師を助けたいという心が微量でもあったとして。けれどやはりそれは浅はかな行動だったろう。
 そして、それすら気付こうともしなかった冷徹な自分も彼同様に。

 くるり、くるり、と煌びやかな調度品や装飾品が置かれ、アニスの言っていた少し前の夢、玉の輿の必需品のようなそれは自分には興味もないものだった。
 そうして先ほどまで見ていた、今は背後にあるそれとはかけ離れた、廃墟と化したそれに何度か足を踏み入れたのはもう二年も前のことだ。周りには煌びやかな物一つ無く、只薄暗いその中を自分は兎も角、彼はわき目も振らずに歩いていた。
 歩き慣れないそれをそれでも一心不乱に歩いて、目の前の事だけに必死なのだから要領は悪いし、却って遠回りだったのかもしれない。
 けれどその中心には綺麗に一本の空洞がある。まるで中心だけに触れないように触れさせないように、辺りを駆け巡って囲って、中心部に収束させたような光が残る。
 そこまで考えて根拠も何も無い余りに抽象的な思考だと、表に出すことなく自嘲的に笑った。酷く自分らしくないと思考を中断させた。
 ああ、なんてらしくない。まるで彼の生き様の様だ、だなんて。


 すべてが終わり、あの場所には空からの光が漏れているのだろうか。
 空洞に宛がわれた丸い光は、誰を待っているのだろうか。

螺旋階段の降り方