自分という人間は絶対にして冷静さを欠くことは無い。何時如何なる場面においてもそれを失ってしまえば正常な判断が出来なくなる、それは則、軍人として命を落とすことになるといっても過言ではなかった。日常生活でさえも自らの命を狙ってくる者は数え切れないのだから。


 声高らかに上げられた譜術によって、天光から落ちた光がその場の魔物を一掃した。
「珍しいな、ジェイドが上級譜術を使うなんて」
 ガイが呟いたのは「通常使う必要の無い相手の場合」という言葉が文頭に付いて成り立つものだった。それに頷きもせず、かといって否定することも無く自分が得意とする曖昧な笑みを浮かべた。

 そんな出来事が起きたのは約数時間ほど前の話。

 扉の叩く音に答え休憩として独り読書をしていた部屋に招き入れる。それは予想範囲内の時間帯かつ人物だった。
「ジェイド……その、ごめん」
 そう憔悴しきったような笑みと両手を合わせてジェイドに対し、頭を下げるルークにわざとらしく首を振るのももちろん忘れない。
「貴方に忠告したはずなんですがねぇ。物覚えが悪いことは知っていましたが、今回は仕方ないですねとは言えませんよ」
「けど! ガイも怪我してたし、回り込まれてティアにだって襲い掛かってきたし俺が」
「自分の体調と相談して判断なさい。例え襲い掛かったとしてもティアの怪我はたいしたものじゃなかったはずです。そもそもティアは自分で治癒出来るんですから」
 メガネに手を当てて言い終えれば、こちらの言い分に納得できたような笑みが返ってきた。しかしその笑みは理解できても改善はできない、といった心情を表しているのは分かりやすい彼故に明白だった。
 だからルークは何度忠告してもこれを繰り返すのだろう。
「あと、サンキュ」
 付け足されるような一言は何を指しているのかはすぐに理解できたが、あえて何も言わずにそのまま次の言葉を待つ。
「ジェイドが譜術使わなかったら俺、超振動使ってたと思うし……うん、やっぱありがとう」
「お礼を言われるほどでもありませんよ。さぁもう寝なさい、明日も早いですから」
「あ、うん。おやすみ」
 最後にもう一度ありがとうと返された後に扉が閉じた。
 よく考えてみなくともあんな上級譜術を詠唱する必要もなかったのは分かっていたはずなのに、それは彼に対しての牽制なのかそれとも冷静さをほんの一瞬でも欠いてしまった己の変化の証拠なのか。
 それこそ本来の年相応の笑顔を打ち砕いたのは紛れもない自分自身の提案で、それは今となっても論理的に間違いはなく至極当然だと断言できる。
 焦燥感がある訳でもなければ絶望が襲うわけでもない。
 それでも紛れもない消滅の道を辿っている彼に友人などと言ってしまった時点でずいぶんと変化が起きているのだろう、自分にも。
 現状を理解した上でなお他人の命を優先するのは愚かなのかそれとも優しいのか。彼の体調を知りながら庇われてしまったティアは今、きっと複雑な心情だろうから愚かという言葉の方が合っているのか、それとももしかしたら自分に持ち合わせていない何かの言葉に当てはまるのか。
 恨んでくれとも、力を使うのを控えなさいと言ったところで決して従うことはない。理解していたとしても切羽詰まった状況では本能でそれらの理由を払拭してしまうと言った方が正しいのだろうか。
「やれやれ……」
 本当に子供のようだ、総て犠牲にして何を得るのだろう。もしかしたら今まで出会った中で一番に理解しがたい存在であるかもしれない。そうして誰かを理解しようと思ったことも殆どなかったけれど。

 人を切った夜に魘されること。できるだけ人を殺したくないと今でさえ思っていること。
 ルークは変わった。けれど、もしかしたら最初に会った時からそういった類の我儘だけは無意識の中に変わらず存在していて、その延長線上に今の彼は在るのかも知れなかった。

Lack of understanding