私ってば中々人の秘密を知ってしまう体質なのかもしれない、なんて思いながら廊下をいそいそと歩いていた。
 素直でなんだか可愛い感じの後輩ができたと思ったのも束の間、とんでもない場面に遭遇してしまったのだ。
(でも、まぁ仕方ないのかな?)
 調理実習で貰ったらしい大量のカップケーキの点数をつけているのは、作った子には可哀想な話だけれど、あの数を黙ってニコニコと食べる人なんてそうそういないのかもしれないとも思う。
 なんて思ってしまうのはそういった対処にとてつもなく体力を消費している人を知っているからだろうか。そういえばその人はいつもどうやって対処しているんだろうとふと思った。

 彼と先程の後輩を思い出して、なんでこうはね学のモテる人気者たちは曲者なんだろうかと思う。一人くらい笑顔で女の子と接して本心で喜んでありがとうと言って、カップケーキを家で食べるような、
「ふふっ」
 そこまで考えて首を横に振る。想像したのは彼が嬉しそうに家でカップケーキを食べるさまだ。ありえないと首を振る。
「なにニヤニヤしてんだ、お前」
 くつくつと笑いながら廊下を歩いていると控えめでけれど心底馬鹿にしたような声が降ってくる。
 噂をすれば影なんてよく言ったなぁと思いながら声を出した本人を見る。見るまでもなく誰かは分かったけれど。
「佐伯くん、もう、私ニヤニヤなんてしてないよ!」
「じゃあヘラヘラ」
 間髪いれずに返された擬音語にむうと睨んで見せてもどこ吹く風だ。夕焼けの光を浴びていつもの、不特定多数の女子生徒との笑顔とはまた違った質の顔をしているのは、我らが羽ヶ崎学園のプリンス、佐伯瑛、なんだけど。

 こういうときの佐伯くんはプリンスとは全然違ういじわるな普通の男の子だ。
「ヘラヘラでもないってば! って、あれ? 佐伯くん珍しいね、こんな時間まで学校にいるの」
 はたと思い立って首を傾げれば、佐伯くんは少し戸惑ったように目線をさまよわせる。
「あー……いや、その……」
「分かった! 女の子から逃げてたらこんな時間になっちゃったんでしょ」
 いつものファンの子たちがいないのを見つけて、そうに違いないと得意になって言うと佐伯くんはさっきよりもずっと呆れた声を出した。
「バカ。違う。……俺はお前を」
「え? 私がなに?」
 どうやら違った上に私が関係しているらしいので気になって佐伯くんに視線を合わせると、更に顔を背けられる。
「ああもうなんでもないから!」
「えー、佐伯くんが言いだしたのに……」
 少し食い下がろうとしていると、
 タイミングよくチャイムが鳴る。下校を促すそれに驚いて時計を見ると夕方も終わるくらいの時間帯だ。

 今日はバイトもないし友達との約束もない。宿題も大それたものはないからと、考えてひとつ浮かんだ。
「そうだ、今日佐伯くん時間ある?」
「えっ……う、ん。あるけど」
「じゃあ、ちょっと喫茶店行こうよ、はるひお勧めのケーキが美味しいところがあるんだ」
 初めの頃は佐伯くんのファンが争うようにして放課後の約束を取り付けようとしている所に、助け舟を出すために嘘を付いたりしていたけれど、最近は本当に誘っても承諾してくれる回数が多くなった。
 チョップは痛いけど佐伯くんと話すのは気軽で楽しい時間だ。
 佐伯くんの袖を掴みながらぐいと校舎から出るように促すと静止の声が聞こえてくる。
「? 早く行かないとお勧めケーキが無くなっちゃう」
「お前、珊瑚礁でバイトしときながら他の喫茶店を勧めんのかよ」
「何よ、佐伯くんだって敵情視察で良くほかのお店行くじゃない。それとも今日は行きたくない?」
 振り向きざまに言えば、少し困ったように顔を歪ませた。どうしてそんな顔をするのか分からず、けれどしっかりした表情は夕日の光で良く見えないから私は少し強引だったかと思い直す。
「……ごめん。佐伯くん忙しいもんね、また今度でい」
「行くよ。行くから、んなしょげた顔すんな」
 ぽすっと頭上から鈍い痛みが襲ってきたのはチョップが降ってきたからだ。その痛みに少し唸っている隙に佐伯くんはあっという間に私を追い抜いていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ、佐伯くんお店の場所知ってるの?」
「知らない。だから早く来い!」
「ちょ、ちょっとそれは理不尽!」
 慌てて追いかけると少し悪戯そうに笑うからこちらも笑い返すけれど、なんだか悔しかったので追い付いて思いっきり背中にぶつかってやった。





***




 はるひのお勧めは流石で、流行に沿ったケーキが沢山あった。もちろん佐伯くんはコーヒーも頼んで吟味をしている。
 私の選んだのは少し大人しめのケーキで、カップケーキを豪華にしたようなものだったから、それから今日の放課後の出来事を思い出した。
 美味しいと口に頬張りながらも思い出して、気になったので佐伯くんに話しかける。
「ね、佐伯くんってさ、調理実習とかでお菓子もらったりするでしょ? 女の子から」
「ん? ああ、まぁ、それなりに」
 それなりにという数がどれほどかは考えないようにして話を進める。
「それってどうしてる? お菓子の出来栄えとかに点数とか付けてる? それとも全部捨てちゃったりする? 全部は食べないよね?」
 どうだろうかと矢継ぎ早に聞いてみると、物凄く苦い顔をされた。コーヒーのせいじゃないのは流石に分かった。
「……お前にとって俺ってどんなイメージだよ、鬼か俺は? 第一、全部食べないのが前提ってどういうことだ」
「だ、だって凄い量だと思うし全部は無理かなぁって」
「だからって捨てるって選択肢はどうかと思う」
 性格悪いぞ、お父さんは悲しい、なんて嗜めるように言うからまるで私だったら捨ててしまうみたいな言い方に思わず反論する。
「わ、私はしないよ!?」
 返すと、予想通りといった風に佐伯くんはにこやかに、確実に裏のある笑顔になって右手をいつもの形にする。
「俺はすると思ってるって訳か。よし、チョップの出番だな」
「ううう嘘ですごめんなさい! って、じゃあ全部食べてるの!?」
「……なんでそんなの聞くんだよ」
 不思議そうな顔で聞かれるから、少し言い淀んでいると意味深に頷かれて首を傾げる。佐伯くんは一度コーヒーに口をつけてまた溜息を吐いた。
「全部食べられるときは食べるよ。食べられないときはじいさんに手伝ってもらったりするけど、食べきれなくなる前には貰わないように逃げるのが基本。あと点数は付けない。つか、んな面倒なこといちいちしない。まぁ、こうすればもっと美味くなるとかは思うかも……しょうがないだろ職業病みたいなもんだ」
 文句あるか、と言うので少し目を見張った。

 調理実習で作るカップケーキというものはもちろん私も作ったことがあって、それは同じ材料だから味も同じようになりがちで、いくら料理が得意な女の子でも違う味を作ることはできない。せいぜいトッピングを変えるくらいだ。
それをいくつも食べると言うのは流石にキツイんじゃないかと想像に堅い。
 それになにより食べるのはこの佐伯くんなのだ。お菓子作りがそこらの女の子より上手くて冗談抜きでお店に出せるくらいの人物に知らず知らずお菓子をあげているあの子たちが少し勇者に見えるくらいだった。
「……そっか、そうなんだ」
「食べ物を粗末にしない主義なんだよ、俺は」
 付け足された言葉に少し笑みが毀れた。馬鹿にされたのかと佐伯くんは不機嫌そうに眉を歪めたけれど。
「なんだよ」
「ううん、佐伯くんらしくていいなぁって思って」
 ふふっ、と笑うと、面食らったように「あ、そ」とぼそりと呟く。ここは夕焼けの光が差し込まない店の中。今度は彼が照れているのが分かった。少し前なら、きっとそれに気付かずに興味無いように見えるだろう。

 人気者の苦労なんて私には分からないし、分かる日なんて来ないと思ってた。けれど高校に入って佐伯くんに出会って、そうして佐伯くんの大変さが少しだけ分かった。色々と気苦労が絶えないのをいっそ全部辞めちゃえばいいのにとも思うけれど、そうは出来ない事情もあるのも分かっていて。
 だからせめて私と居る時くらいは佐伯くんらしさが出てればいいなと思う。どうしてか最近は溜息をつかれたり呆れられちゃうけれど、それが本当に佐伯くんが嫌がってるという意味じゃないことはなんとなく分かってきたから。

「で、どう? このケーキ美味しいでしょ?」
「まぁ参考にはなる。でもコーヒーは駄目、深みがないっていうか、インスタントだし」
 珊瑚礁の方が断然いいな、と小声で言うものだから、それは同意するとしても苦笑も漏れてしまう。
「やっぱり採点厳しいなぁ」
「こういうのはいいんだよ。敵情視察なんだし」
 そう言った笑う顔が学校でよく彼がするプリンスの時とは違って、いたずらが成功したときみたいな笑顔だ。

(――あれ?)
 最近、この顔を見るとなにかの音が鳴る。何処で鳴っているのか、なんの意味があるのか。私はまだ分からない。
「ね、今度の日曜日に水族館に行こうよ」
「またかよ? 俺ら何度行ってるんだろうな」
「えー、暑くなってきたから、あそこ涼しいし綺麗だし好きだし……駄目?」
「……駄目じゃない」
 その答えが了承を指すことくらい流石に分かってきたから私はやった、と笑顔になる。

 この音の正体が分かるまでこの人と一緒に居られたらいいのに、と最近ずっと考えてるんだよ。

変移的親和論