「うん。いいんじゃないのかな」
 まるで今日の晩御飯はカレーでいいかしらという返答と同じ様な口調の目の前の人物に私は目を見開いた。


 従兄妹である現グランパニア王がその玉座に戻ってからそれ程月日は経ってはいない。石像から真逃れた後も戦いやらなんやらで結局彼が国王として働き始めたのはつい最近だ。
 世界は平和に。なんて口上がよく似合うこの国はやはり彼が国王なのだからかもしれない。なんて、とても父親には言えないけれど。
「……ええっ!? 本気?」
「え、なんでその反応? 聞いてきたのドリスでしょ」
 だからいいよって言ったのにと笑顔で返してきて私は頭を抱えそうになる。公式の場なのに敬語を忘れても気にもせず、というか気付かないだろう彼に改めて恐れいる。
 そもそもの発端は今隣にいる人物が原因なのだけれどと、ちらりと隣をみると常の無表情が少し戸惑っているように見えた。
 そりゃあそうだろう。
 なんだかんだと帰ってきたカデシュを城に住まわせて欲しいなんて言ったわがままがこうもするりと通ったのだから。

「あの、私、この国に住まわせてって言ったんじゃないのよ? この城にって言ったのよ」
 グランパニアは城壁に囲まれたというよりも、城そのものが街であり国なのだ。だからといって皆が国王の部屋に軽々しく入れるつくりでは無く、そこにはしっかりと隔たりがある。
(坊ちゃんなら入ってきても、どうしたの? で済ましそうだけど)
 街の民家ではなく城の、仮にも王位継承者の端くれの私の近くに、身分は知れているとはいえグランパニアに今まで関係なかった人間の部屋を作って欲しいとは非常識なことこの上ないのだ。
 もちろん、反対されるのが目に見えていたから全面的に戦うぞと意気込んだのに、彼が放ったのはにっこりとしたあの笑みと冒頭の一言だった。
「嫌だなぁ分かってるよ。それより」
「それより!?」
「君がカデシュさん?」
「あ、ああ」
 私の話を横に置いて彼はカデシュに視線を合わせる。急なことで驚いたらしい。
「ドリス達から話は聞いてるよ。色々とうん。ありがとうございます」
 立ち上がりまるで土下座に近いような深々としたお辞儀をするから周りにいた兵は驚いて固まる。
「い、いけません国王! 一国の主である貴方様がそのような」
「なんで? この人は僕の大切な子供と仲間と従兄妹を守ってくれたんだよ? お礼するのは当然だよ」
「で、ですが! それをこの場でしかも公にやられると……」
 そう、此処は王座であり国の一大事や行事に使用される場であるから、この態度を偶然にも他の国々が見たら誤解が生じるのだ。それを教えられて彼はまた笑った。
「今ならヘンリーがよく言う『かったるい』って意味が少し分かるかも。それじゃ二人共、僕の部屋で話そっか」
 そうすればお礼も言えるしと納得したような顔で座っていた場から降りてきて手招きをした。


 彼の部屋は今までずっと綺麗だった。けれど今はきっとあの二人の内の兄がやったのだろう、少し遊んだ後があって変化を思う。
「……本当にいいのか?」
「うん?」
 用意されたお茶を飲んでいるとカデシュが口を開く。やはり少し困惑しているようだった。
「それがいいならそれがいいよ。別にこの国を滅ぼしにきた訳じゃないんだし。ドリスだって近くにいて欲しいからそう僕に言ったんでしょ?」
「え、や、そ、それは」
 唐突な恥ずかしいセリフにあわあわしていると、彼はまたカデシュに向かう。
「傷のことも聞いてる。何か方法があるかもしれないしどうなるか分からないけれどね」
 僕も手伝うよ、と付け足すとカデシュは首を横に振った。
「別にそれは」
「今生きているのが苦痛じゃなくて、誰かがカデシュさんに生きてて欲しいって思ってるのなら生き続ける方法を探すのも悪くないと思うよ。やっぱり、ね」
 誰か、のところで意味深に私を見る以外、相変わらず目線をずらさない人だと感心しているとカデシュの方が目線を外した。
「……気楽なもんだな」
「ち、ちょっとカデシュ」
「テンとソラと似ている訳だ」
 言い終えるといつも通りの顔に戻りお茶を飲み干していた。
 彼はというとくすりと笑ってそれを見ている。
「あと、私にさんはいらない」
 その元々の風貌と石像の八年があったから彼は若く見える。とても八歳の子がいるとは思えない人だ。そういえば、旅をしていて年の離れた兄妹だと思われたのにソラが嫌がったのを思い出す。
「分かった。カデシュ、ドリスのこと宜しくね。最近更に可愛くなったし気を付けてね」
「ちょ、ちょっと坊ちゃんってば」
「あれ、僕はまだ坊ちゃんなの?」
 おかしな発言を咎めようと思ったら、困った顔で言われて思わず口を塞ぐ。サンチョでさえ坊ちゃんとは言わなくなったのを思い出した。
「冗談。ドリスらしいしそのままでいいよ。そうだカデシュ、ひとつだけいい?」
「なんだ」
「たまにはテンとソラと遊んであげて。君を待ってたからあの子達も」
「……気が向いたら」
 小さく呟いたセリフはそれでも彼には届いたらしく満足そうに笑う。
「それは良かった。あとは、ああ部屋だよね。空きを聞いてくるからドリスの部屋で二人で話しておいで」
 じゃあね、と部屋を後にする彼を呆然と見送る。相変わらずマイペースというか優しすぎるというか。彼自身が部屋を探しにいくという事の重大さに気づけない程に彼は全く彼だった。





***





 私の部屋に入って調子を取り戻したらしいカデシュは無表情のまま椅子に座り込む。
「変わった男だ」
 そんなカデシュの発言に笑って相槌を打つ。
「坊ちゃんのこと? まぁねー、でも凄い人よ」
「……苦手だ、あの瞳と声は」
 カデシュがそういうだろう気持ちが少し分かる気がして押し黙る。
 あの不思議な瞳と声は私を変わらせてくれた。初恋に近いような優しい思い出だと思う。尤も、彼のお嫁さんで私の親友のビアンカには到底敵わないし、敵おうとも思わないから二人はやっぱり憧れだ。
 優しくて愛情にあふれたあの笑顔はやはりこの国になくてはならないものだと思うし、あの人がこの国で好かれている理由は今となっては、なにも先代のパパス王の子息だからという訳ではないと思う。

 少し思い出にふけって、そういえばとはたと思い出す。
「ねぇ、そうだ」
「なんだ」
「はい、これ」
 座っているカデシュに目線を合わせるようにして、首に付けたそれを渡す。私の総てだと言って渡してきたそれを返せることがどれだけ奇跡に近いか分かって、それを持つ手が少しだけ震えた。
「おかえり、約束通りちゃんと返すからね」
 はいとカデシュの目線に合わせるように見せてかちゃりと音を鳴らしながらそれを目の前に向ける。
「…………」
 けれどそれをまじまじ見たままカデシュは止まっている。これを返すことだけが、返してあげて此処でお帰りということを心許ない糧として、なんとか保っていたというのに。
「? ……ちょっとぉ、受け取りなさいよ」
 いい加減しびれを切らした私はカデシュに顔を近づける。
「カデシュ?」
「ドリス」
 なんとか反応したと思えばいきなり手が伸びてきてペンダントを掴む前に、私の手を掴む。
「え、な、なに?」
 掴まれたせいかそこからするりと力が抜けて、落ちそうになったペンダントを掬うようにして手に取ったカデシュはそれを自分に付けるかと思えば、いつかのようにペンダントを私の首にかけた。
「――それはお前が持っていろ」
「はぁ? え、なんで、だって、これ」

「お前が持っていても私が持っていても変わらないからな」

 その意図が分からないほど私は馬鹿ではなかったけれど、理解できるほど状況判断が早い訳でもなかったのでぼんやりとカデシュの動きをぼんやりと見つめていた。ぼんやりと見て、そのまま視界もぼやけていく。
「……お前は、本当によく泣くな」
「う、うるさい……っ」
 呆れた声が降ってきたけれどそんなんじゃ涙は止まらない。だって、この国に坊ちゃんがいてビアンカがいてサンチョとあの子達が笑っていて、そうしてカデシュが此処にいるのがどれだけ幸せなことか私は充分すぎるほど分かっている。
「お前に泣かれるのは困るって言ってるだろう」
 そう言って頭に触れた手が冷たいけれど感触がして彼の存在がひしひし伝わる。
 ひょっこり当然だと言わんばかりに帰ってきたガデシュに目を見開くしかできなかったのはつい昨日の出来事だ。幻かと思ったけれど違う、これは現実だ。
 生きている。カデシュも私も坊ちゃんもビアンカも皆も。
 これを幸せ以外になんて言っていいかなんて分からない。
「カデシュ、おかえり」
「それはさっき聞いた」
「何度でも言いたいの」
「そうなのか?」
「……そうなの」
 消え入る声で言うとカデシュは坊ちゃんに対する時より困ったように、ちいさく笑ってちいさく呟く。私にしか聞こえないただいまの四文字を。
 そうして部屋を見つけてきてくれるだろう坊ちゃんとビアンカと、テンとソラの誰かがこの部屋に来たらちゃんとした笑顔であの人達を迎えよう。けれどそれまでは、この言葉に返事が返ってくるのが嬉しくて、何度だって口にしたかった。



 おかえりなさい。
 言いたい事は沢山あったけれど、とにかく今はそれだけ伝えられればいいから。

Happiness is repeated.