ぼんやりと目を開けると白が目に入った。天井を認識して自分が寝ているのだと思い出す。何も考えていないでいると、数分後にピピピピピと携帯のアラームが鳴った。
(……バステ……衰弱……か……)

 一見何にもないあの田舎町から元の街へ戻ってきて数ヶ月。さして変わらない毎日を過ごしていたが、久々にやらかしてしまった。
 相変わらず働かない頭のまま体温計を引っ張り出してきてみてば、三十八度。風邪だ。

「――と言う訳で今日は休みます」
 学校に電話を掛ければ、担当者はお大事にと言ってくれた。学校を休んだので親にもメールした。気付くかは分からないが、寝ているから返信はいらない旨を記しておいた。高校生なのだし流石に帰ってくることはないだろうが。
 立ち上がったことを利用して水と薬と、あと朝ご飯を作る。確か冷凍してあった米があったはずだ。電子レンジで温めてしまおう。
 水が沸くまでの間、あたりを見回して電源のついていないテレビを見つめる。
 そういえば風邪を引いた状態でテレビの中に入ったらどうなるのだろう。バステ治して戻ってきたら風邪治っていたら楽で良いな、なんてとりとめもないことを考える。

 お湯をかけただけのお粥もどきに、冷蔵庫にある梅干しをのせたものを口に入れれば味がしなかった。結構これはまずいかもしれない。
 そういば去年は一切風邪をひかなかったなと思う。元々体調を崩すことはないがそれでも引くときは引くのに。
 なんとか半分食べて薬を飲んだ。洗い物はする気が起こらないから、そっとしておこう。

 早急にベッドに戻って持ってきた水を横に置いて、そのまま布団を被った。
 あいにく冷えピタの類は常備してなかった。今度買っておこう。





 なにか、喋ってる。
 皆いる。
 でも、俺だけいない、皆気付かない。
 なんだろ、ここは暑い。まるで完二の影がいたところみたいだ。ああ、でも寒いかも。寒いところってあったっけ、11月じゃないのにな。頭が痛い。おれは、なにを考えていたっけ。
 皆がいれば、良かった。
 俺のこと。もう覚えてないから気付いてくれないのかな。

 ――でも、俺は

 俯きかけた目線を上げれば、目の前にひらひら舞う蝶がいた。とても綺麗で思わず手を差し伸べたら大人しく留まってくれた。優しく触れてみれば蝶は青白く光り、ぱりんと音がする。
 隔てた壁みたいなのが割れて、その音に気づいた皆がこちらを向いた。
 笑ってこちらに駆け寄ってくる。

 ああ、やっぱり。
 俺は、皆が笑ってくれればそれで良かったんだ。





 ヴーヴーとマナーモードにしていた携帯が震えているのに目が覚めた。
 なんだか良い夢を見た気がする。
 携帯画面には時刻が出ていて、結構寝ていたらしい。まだ頭痛はあるが、少し体は暑いがマシになったほうだ。
 これならば、と着信に対応する。

『ごめん! メールしようと思ってたら間違えて電話してたわ』
「……いや、大丈夫。どうかした? 陽介」
『あれ、お前元気ない?』
 努めていつもと同じ様に答えたつもりだったのに、そんな返答が返ってきて目を見張る。
「エスパーか?」
『え? あ、なに本当に元気ないの。どうしたんだよ』
「別に。風邪引いただけ」
 今日は学校休んだんだ、そう告げれば陽介は悪いと声を窄めた。
『切ってお前寝た方がいいよな。そんな大した用事じゃねーし』
「いや。もう随分寝たし。気分転換には丁度いい」
 暇だったし、と告げれば陽介は笑った。
『確かにそういう時って暇だよな、てかお前今一人?』
「当たり前だろ」
『……親は?』
「は? 男子高校生が軽い風邪引いたくらいで、親が仕事休む訳ないだろ」
 世間一般的にもそうだろと言えば、彼は納得した様な声を上げた。
『飯とか食べた? 薬は?』
「お粥適当に作って梅干しと食べた。薬も飲んだ」
『……完璧かよ』
「惚れるなよ」
 前に里中に言った台詞を思い出して言えば、ばーか、と笑われた。
『つーか、お前ならイベントとか発生すんじゃね? 看病したーいって、女子がわらわらと』
「女子にそんな言い方するな。そんな訳ないだろう……」
『えっ、お前それマジで言ってる? こっちだったら里中とか、天城とかりせとかいっぱい行くと思うぜー。お粥も作ってくれるって』
「ありがとう。陽介が最初に熱くないか味見してくれるんだよな」
 ニヤニヤして言ってきたの分かったので、言い返せば息の詰まる音が聞こえた。こういう何の気負いもせず話せるのがやはり楽しい。

「というか陽介、今まだ学校か?」
『ん? ああ、丁度皆と夏休みの計画立ててな』
 つい前までそこに居たはずなのに、その場にいない俺は当然参加できなくて、そういう意味ではやはり寂しく思う。
「どこか行くのか? いいな」
 何も考えずそんなことを呟く。いいな。俺も皆とどこか行きたい。ここは結構静かで、俺は一人きりではしゃぐタイプじゃないから皆がいたら嬉しいのにな。学校も慣れて話す奴はいるけど、皆とだってまた会いたい。
『ばっか、お前も行くんだよ。クマもな。強制参加だかんな』
「そうなのか」
『そうに決まってんじゃん。そんなの当たり前だろ』
「そうか。……嬉しいな」
 呆れた陽介の声色が、心底当たり前だと思っていると分かった。嬉しくて笑おうとして少し咳が出る。やはり本調子ではないらしい。
『お前、な、にそれ。熱でも……熱あんの?』
「あー……………えっと、ない」
『あるんだな。いくつだ』
 一瞬迷って、誤魔化そうとしたのがバレてちょっと冷たい声がする。陽介に限らず仲間たち全員だけど、特に陽介はこういう時誤魔化されてくれない。
「……朝は三十八度だった。起きてからは測ってない」
 そう告げれば陽介はなんだかとても驚いた声を上げていた。
『今測れ!』
「えー……」
 少し動くのが面倒だったから、渋々と近くにあった体温計を準備する。

『ちょっと花村、うっさい! そんな声あげたら向こうにも響くでしょ!?』
『だってこいつ風邪引いたってしかも、熱三十八度! ――うおっ!』
『大丈夫!? リーダー!!!』
『ち、千枝、花村くんと同じことしてるよ』
 驚いた陽介の声に非難めいた里中の声が聞こえたが、俺が風邪だと告げればその声が近くになる。遠くで天城の声も聞こえた。
 多分陽介の携帯を奪い取った里中の行動を、天城が笑っているのだろう。見えなくてもわかる。
「大丈夫、ちゃんとご飯も食べてよく寝てたよ。熱も――あ」
『えっ』
「三十九度だって」
 さっきより下がったと思うし。と付け加えようとしたのに、無情に叩き出した数字に思わず笑ってしまった。
「こんな数字久々に見た。みんなの声聞いたら元気出ると思ったんだけどな」
 くすくすと笑って返すと里中は、数秒の空白の後スピーカー設定にしたらしい。

『先輩、大丈夫っすか?』
『せんぱーい! 私がアナライズして治してあげよっか?』
『テレビの外でそんなことができるんですか?』
『いやそんな訳ねーだろ。出来るんならすぐにディアラマかけてやるっつの』
『待って、メシアライザーの方がいいよ』
『全体回復を一人に!?』
 ざわざわと喧騒の音がする。ビルの狭間、たとえば電車のホームで聞くそれとは違う心地よい響きだ。
『ほらお前が言ったんだから、元気になっとけよー』
 陽介は「足りなかったら長瀬や一条とかも呼べるぜ、部活中だけど」なんて付け足されたので断っておいた。部活中は流石に悪い。
「うん。ありがとう、皆。格好悪いところ見せたな」
『何言ってんすか先輩はいつだって格好良いっすよ!』
『完二の言う通りだよ、先輩』
『それよりも、身体お大事にして下さい』
『そうだよ! 大体そんなので格好悪いとか花村の立場がないよ!』
『うん。可哀想……』
『おい待て里中天城! お前らマジでいい加減にしろよ! 泣くぞ!!』
 いつだって変わらない皆は、きっと色んなことを吸収して変化していっているのだろうし、いくのだろうけれど。俺だってきっと他の人達とも関係を築いていくのだろうけれど。それでもいつでもこんな風に会話が進んでいるのを見るのが好きだった。会話に入ってふざけるのも、遠くで聞いているのもどっちも楽しい。どんな時でも俺を当然のように入れてくれる皆も、盛り上げてくれる陽介も。

「大丈夫、陽介。お前は格好良いよ」
 それに優しい。心の底から思ったことを言ったら向こうから沈黙が返ってきてしまった。
「皆?」
『あー。ごめん、ちょっと攻撃力が強すぎて反応が……特に花村』
「? そうなのか。あ、もちろん皆のことも優しいと思ってるよ。俺は幸せ者だな。風邪引いて良かったと思ったの初めてだ」
 思わず笑って言ってしまえば、ガタガタと音がした。流石に情景までは理解できないので、どんな状況かはよく分からない。
『先輩、そう言うところですからね』
『そういうところだよね』
「え? 何が??」

『あーもう、積もる話はまた今度にしよーぜ。お前ももう寝ろよ、三十九度ってヤバいだろ』
「そうだな」
 ちょっと寂しいけど仕方ないな、と思う。熱が上がったせいで身体は怠いけど、皆と話したおかげで精神的には元気を貰った気分だった。
『……風邪引くとさちょっと心細くなったりすんじゃん。もし、そっちで一人なら堂島さん家にでも電話しろよ』
「叔父さんに? 風邪引いたって報告するのか?」
『いや、違くて……俺らからの元気貰ったんなら、あとは菜々子ちゃんと堂島さんだろってな。どうせなら全員から貰っとけ』
 なんて言うから、やはり陽介は格好良いなと思った。風邪を引いた時に何をすれば良いのかはわかるけど、それを伝える相手は誰なのかはよく分からなかったのだけれど。
 暖かい会話でゆるりと睡魔が襲う。ああ、今ならよく寝られそうだ。
「……うん。でも充分足りたよ、皆ありがとう。……おやすみ」
『お、やすみー……』
 少し掠れる様な声になってしまったが、返事が遠くで聞こえたのでそれだけで幸せだった。
 随分恥ずかしいことを言った様な気もするが、まぁいいか。本心だ。
 そんなことを考えて思考は白く淡く消えて眠りにつくことにした。





 夜に目が覚めてさっきの出来事を思い出して、せっかく陽介が言ってくれたのだしと、菜々子と叔父さんに電話を掛けた。どうやら皆が伝えてあったらしく、菜々子は「お兄ちゃんのために歌歌ってあげる」と心配してくれて、叔父さんは「あまり無理するなよ。しかし、これは姉貴に自慢できるな」と心配しつつも何故か嬉しそうだったのは余談だ。

nostalgie