漫画やドラマでよく見る光景は実際のところ現実にはそうはない。けれど世界は広いようで狭い。
 花村陽介、八十神高校二年二組。初めて靴箱から毀れ落ち、紙袋ぱんぱんに詰め込まれたチョコレートを見ました。




 今日は二月十四日、俗にいうバレンタインデーである。

 ジュネスではターゲットを絞ったイベントごとも行われる。もちろんそんなものがなくても殆どの人が認知される行事にまで発展していたバレンタインデー。女子はもちろん男子も色々と気になるものである。販売戦略としてはどうしても留意すべきものであり、当然バイトリーダーたる花村はせっせと当日までそれらの準備をしていたのだ。
「はよー」
「おはよう。眠そうだな」
 疲れながらも学校へ向かう人の中にリーダーを発見する。リーダーとは言っても事件も大方終わり警察に任せることになって、本来のように放課後は駄弁ったり飯食ったり休日は遊んだりの高校生活に戻っていたけれど。
「バイト忙しくてよ。なんたって今日はアレだからな!」
「ああ、バレンタインな」
「あれ、もしかして興味あったりする?」
 イベントごとに興味はあっても、大抵仲間側のアクションで参加するタイプの彼が珍しいと返すと、通学用鞄を持ちかえてこちらを向いた。
「昨日菜々子も作ってた」
「おおー、なるほど」
 一緒に暮らす家族としてキッチンは一つしかない堂島家のことだから、内緒には出来なかったんだろうと結論付ける。
 相手は相手で興味がないと言わないあたりそれなりに気になるのだろうか、なんて思いながら学校への坂道を上がる。時間も丁度良く急ぐほどでもない道を歩いて門をくぐり、校舎内に入るために靴を脱ぐ。
「そういえば、天城たちから貰えるかもな、既製品なら嬉しいんだけ――」
 義理だろうとなんだろうと貰えるのは嬉しいと期待めいた予想を彼に投げかけようとして言葉が途切れた。

 いや、正確にはそれに続く音が他の音で途切れてしまったのだ。
「え……なにそれ」
「なにって、チョコレートだろ?」
 お前の目は節穴かという感想が聞こえてきそうな表情をして淡々と自分のそれから落ちてきたチョコを拾っているのを見る。最近はテレビの中に入るということもなくなり、イベントも正月以降たいして無く割と普通に過ごしていたから花村は忘れていたのだ。
 この人物、とんでもなくモテるということを。
 包装されたチョコレートは重なって落ちるとばさばさと音を立てるのだなぁと一つ学んだところでそれを生かす場は金輪際ない。せっせと拾う姿をぼんやりと見つめているうちに拾い終わったらしく、不思議そうにこちらを見てくる。
「花村、教室行かないのか?」
 さもそれが当たり前のようにそう告げられて階段へと足を向けたので、二の句を告げずに慌ててついていくことになった。

 そもそもバレンタインデーが平日であると、こうも勝者と敗者が明確に線引きされるのだと再実感させられる。
 間違うことなく前者であった花村の親友は教室に着くなり自身の机の上と中に置かれたチョコレートをまた片付けるという作業から入らざる負えなくなったらしい。
 その状況は周りの生徒も驚いたらしく、あれよあれよという間にパンパンになった鞄を見かねて、近くの女子が友チョコを入れていた紙袋をくれたほどだ。ちなみにその女子にもチョコレートを貰っていたのは余談である。
 花村は授業開始を知らせる教師の登場にほっと一息をついている目の前の相棒を見つめて、不公平という意味を噛み締めていた。

「お前ってさ、驚かないのな。割と転校前もそうだったとか?」
 最近はさらに頻繁に見られるようになった彼のお弁当を少し貰いながら聞くと、一度目を見開いて飲み物を口に含んで飲み込んだ後に首を振られる。
「まさか。この量は初めてだけど」
「じゃあなんでそんなに冷静なんだよ! つかお前断ったりしねーの? どうみたって本命あるだろソレ!」
「え。驚いてるよもちろん。呼び出しじゃないから断れないし、捨てるのは悪いだろ? でも本命なんて無いよきっと。都会と違ってこっちは義理堅いんだな」
 驚いているなんてきっと誰も分からないだろう顔で言葉を返されて俄然とする。そもそもバレンタインデーにチョコレートをこれほど貰う奴も少ないうえに告白されるなんて人生に一度あるかないかくらいが相場であると思いたいのに、「告白されたらちゃんと断るよ」なんて言ってきた目の前の人物に軽い頭痛を覚えた。なんでそういうところだけ理解力に欠けるのだろうか。
 紙袋の中身は半分が埋まっている。その中身は綺麗にラッピングされているのが多く、また手作りだと思わせるものが二桁に届きそうなくらいだ。
 もちろん花村だって貰っていないわけではない。そう、どう考えても義理だと思える、彼と一緒にいるが故に貰えただろう数個。それがついでということくらい分かっていたけれど。

 そんなチョコレートの応戦はまだまだ続く。昼ご飯を終えた後に教室に戻ればまた机の上にチョコレート。
 そろりと相手を見上げればやっと傍から見て分かる程度に若干の疲れが見えた。

 授業も終わり教室からすぐに出ようとする彼について行くように花村もそれに習う。結局紙袋の中身は三分の二が埋まってしまった。さて何個あるだろうかと他人事ながら思って向き直る。
「つかさ、お前甘いもんそんなに食えんの?」
「……いや、さすがにこれは……」
 放課後にそわそわした雰囲気はこの学校を包んでいるかのようだった。霧が完全に晴れた代わりにチョコレートの香りが辺りを包んでいる。というか彼自身を包んでいるような気がしてならない。チョコレートの処理方法に悩んでいる姿に良心としてはなんとも言えないのだけれど、それを飛び越えて苛立ちだってあるものだ。
 心の底から困っている言葉を聞いて小さな声で唸るのも仕方がないと思いたい。
「今日お前ぜってー男の敵な、んでもって女の敵。どんだけ貰ってんだこの野郎」
「どれだけって言われても……それに花村ひとつ忘れてる」
「何がだよ?」
「あれ」
 言うなり指をさした先には長瀬と一条が見えた。見えて軽く絶句したのは花村である。
「一条、俺より貰ってるだろ。多分、長瀬も」
 言いながら二人と目が合うなり手を振って話し始める。一条と彼は普段通りに、長瀬のほうを向けば花村とは別の意味で疲れ切ったように溜息を吐いていた。

 モテる男子代表三名が集まっている。花村に分かるのはそれら全員が己の敵であることだけだった。なんだかいろんな意味で今はあの会話に入りたくない。完二が同級生だったらなぁなんて今さらに思う。先程の良心は風前の灯だ。
 確かに貰ったチョコレートを捨てるなんて行為をしないのは分かっているし、そんなのしてほしくはないけれど、それはそれとして男として腹が立つものだ。むしろ悔しい。がっかりと言われるからなのだろうかと今更ながらに目前の三人との違いについて考え込む。
「花村? 帰るぞ」
「へーへー」
 その間に会話を終えたらしく、こちらに戻ってきた彼の紙袋の中身が更に増えていたのはもういっそ脱力を覚えた。
「くそー、お前といい長瀬といい一条といい」
「僻んでる男はモテないんじゃないのか?」
「今この状況で僻まない男なんてそうそういねーよ! つかお前がモテないとか言わないで、なんか真実味あるから!! くっそ、もうバレンタインデーなんて無くなれっ! チョコなんて当分見たくねー」
 貰った数が皆無という訳ではないはずで、どちらかといえば比較的貰っているほうなのだけれど、この敗北感は相手が相棒なのだからだろうか。

「そうか、折角花村にチョコレートあげようとしたのに残念だ。いらないのか」

 唸るように言えば、ぽつりと聞こえてきた音に思い切り振りかえる。残念そうな表情は、演技ではないように見えた。
「え、何、相棒くれんの?」
「は? ……お前、男からのでも欲しいのか」
 瞬間返されたのはものすごく蔑んだ目だった。花村は慌てて首を振る。女子同士の友チョコは可愛いけれど男同士の友チョコは正直気持ち悪い。
「いやいやまさかまさか、完二じゃあるまいし」
 最も、完璧な竜田揚げやらカレーやら作ってきた彼が作るものなら食べてみたいというのは、デパートで美味しそうなデザートを買いたくなるようなものと大差ない。完二がプリン旨かったと言っていたのを思い出しながら更に首を振る。するとどこか安心したように彼は花村を一瞥する。
「家に来たら漏れなくくれてやる、クマも連れて来いって」
「って、まさか菜々子ちゃん!?」
「……叔父さんからだとでも思ったのか?」
「マジで!? じゃ、ぜってー美味いじゃん!」
 残念なものを見る心底心外な表情を放っておいて、花村は途端花を咲かせたような気分になる。
 何しろ菜々子が作るとなれば従兄である彼が手伝うのは想像に固い。つまりそんなチョコが美味くないはずがないのだ。さすが菜々子ちゃん、本当可愛い良い子だと改めて心の中でお礼を述べる。
「よっしゃ、すぐにクマ呼んでくる!」
「待て、その前に完二も呼ぶ」
 予期せぬ朗報に喜びながら飛び出しそうな花村を寸でのところで引っ張った彼は、そのまま商店街へと足を向ける。
 花村は先の暗い気分から一転、ああ、俺幸せーと呟きながら商店街に足を踏み入れた。

 が、そこは人生というものは上手くできている。浮いた気分は下がるのが自然の摂理。

「……先輩、何スかその量」
「商店街の人に貰った、あとバイト先の人とか色々」
「いっそ糖尿病にでもなれ! ぜってー一条より多くなってんだろそれ!」

 歩くたびに少しずつ増えていく荷物の集大成を見たのは完二であり、やっぱりモテる奴はどこにいってもモテるんだと再確認させられて頭を抱えたのは花村であった。
 ああくそ、いっそ本命だけには貰わなかったらいいのに、と絶対ありえない想像を口に出しそうになったのは致し方なかった。
 相棒である彼の本質と真髄を理解はしているし、それ故に当然の結果なのだけれど――でも本当に、世の中は不公平だ。

Delineation in Valentine ?