帰り慣れた我が家の玄関を横に引いて堂島遼太郎は目を見開いた。この家に似つかわしくない靴の数は今年一年で随分と慣れてしまった。けれど、なんだか甘い匂いに違和感を覚えて靴を脱ぐ。
「ただいま」
「あ! お父さんだ!」
 声が聞こえてすぐにやってきた菜々子とその隣にはもうすっかり慣れた甥の姿があった。
「お邪魔してます」
「してますクマ!」
「ちぃーす」
 けれどその後ろには珍しく男だけの甥の仲間達だ。返事を返しながらも不思議に思っていると、菜々子が笑顔で手招きをする。
「はい、お父さん! チョコあげる」
「チョコ? あ、ああ……バレンタインか今日は。ありがとう、菜々子」
 もうずっと関係なかったその日を思い出して、甘い匂いに合点がいって菜々子からチョコを受け取る。
「あのね、お兄ちゃんに教わって作ったんだよ!」
「叔父さん宛のは菜々子一人で作ったんだよな」
「うん! お父さん食べて食べて!」
 スーツを脱いでいつものソファへ座り、綺麗にラッピングされたチョコを開けてみれば綺麗に四角く区切られたチョコが現れる。娘の年齢からしてその出来栄えに驚きながら、口にいれたその味にまた驚いた。
「お父さん、美味しい?」
「ああ、美味しい。凄いぞ菜々子」
 褒められて大喜びの菜々子を見ながら、遼太郎はもう一つ口に入れる。さほど甘いものが得意じゃない自分の好みを理解しての味なのだろうから、きっと材料を決めただろう甥に呆れが混ざりながらも感心した。

「ところでバレンタインデーに男同士でなにやって……って、なんだ、お前達モテるじゃないか」

 娘のチョコに目をやっていて気付かなかったが、机には紙袋に入ったチョコレートがいくつか目に入った。二桁にいくだろうそれは三人にしてはなかなかではないだろうか。
「あー、だといいんスけど」
「俺が貰えるわけないっスよこんなに」
「お兄ちゃんすごいんだよ!」
「それは全部センセイが貰ったやつクマ!」
「…………は?」
 菜々子が「クマさん」と呼ぶ金髪の少年が笑顔で言った言葉に堂島は止まる。

「皆、飲み物持ってきたけど……え、な、なんですか」
 タイミング良くこちらを向いた甥を凝視すると、彼は驚いたように一歩後退る。
「これ、お前のって本当か?」
「あ、はい。学校の机とかにあったり、商店街の人とかバイト先の人とかに貰ったんですけど」
 それがどうかしたのかと聞いてくるのを見て、堂島に少し戦慄が走る。
「……お前、ところ構わずナンパでもしてるんじゃないだろうな」
唸るように言う隣で菜々子が「なんぱってなーに?」と陽介に聞いているのを見ながら、甥は焦ったようにもう一歩後ろへと下がる。
「し、してませんよ! こういうのは義理でも貰えるんですよ。学童保育の子供からのもありますし、俺はなにもしてませんって!」
「うわー傷付くわ今の発言。何もしてなくて何も貰えない俺たちって何なんだよ、なぁ完二」
「先輩とクマはまだいいっスよ。俺なんて先輩らとりせと直斗からの義理だけっス」
「俺だってジュネス関係ばっかだぜ。つか、いつもならそれでも嬉しいんだけどコイツがアレだからなぁ」
 ぼそぼそと会話を始める陽介と完二の話を聞きながら、堂島はため息を吐く。甥であり、我が家の長男である人間関係を今更ながら謎に思うところだった。

 とりあえずとこの場所では甥の父親であると思って、ごほん、と保護者らしく忠告を添える。
「……お前、変な女に引っかからないように気をつけろよ」
「何言ってるんですか? 皆いい人だし、そもそも本命なんてきっといないですよ。ここは義理堅い人が多いだけです。やっぱりいい町ですよね」
「菜々子もこのまち好き!」
 けれどそれは心底伝わらないらしい。他のことなら甥は一を聞いて十を知るというものをお世辞比喩なしてやってのけるというのに。
 微笑ましい会話をしている彼に言いたい事は沢山あったが、ぽんと堂島の肩を叩く音がして顔を向けると陽介が首を振っている。
「駄目ですよ、俺が言ったって気付きませんし。あいつ他の事は不必要なくらいに鋭いのにこういうのはからっきしですよ」
「だ、だがなぁ。俺ですらアレは義理だけじゃないと思うんだが」
「当たり前っスよ。高校生の財布事情舐めないで下さいよ。義理にあんな金使ってたら破産ですよ破産」
 うんうんと頷く完二とそれに倣うクマを見て、もう一度視線を戻せば菜々子と話に花を咲かせている。軽く脱力してふと思い返す。
「それでお前達、男同士でチョコレートを見にきたのか?」
「どんだけ寂しい奴だと思ってんですか! 里中達がどうせなら皆で食べようってことになってあとちょっとで来るらしくて待ってるんですよ」
「あのね、チョコパーティするの! いろんなくだものにチョコレートかけてみんなで食べるんだよ!」
 きらきらと笑顔を見せる娘に堂島は安堵する。ここ最近はカレンダーを見て甥の引越しまでの日数を数えているところを何度か見かけていた。寂しくなるなとは堂島ですら思うところなのだから、菜々子は輪をかけてそう考えているだろう。もしかしたらだからこそパーティなんてものを思いついたのかもしれない。
「おお、そうか。食べ過ぎないように気をつけろよ、菜々子」
「うん!」
「素晴らしい采配だよな。これなら手作りでもカレー、オムライスの二の舞にはならないからな! 直斗だけに任せるのは荷が重いだろうし」
「早くみんなとチョコ食べたいクマー!」
 やはり甥の提案かともう一度脱力しそうになって彼を見つめる。背丈も顔も性格も、高校生にしては落ち着きすぎだろうと何度も思ったが、本当に自分の姉は一体どんな環境と教えで育てたのかと気になるところだった。
「あ、来た」

 ぴんぽーんと軽やかな音が家に響く。いつもの甥の仲間たちが家へと入ってくる。一年でこうも仲間を増やせるものかと感心しながらこれから充満するだろう甘い匂いを想像して堂島は少し苦笑を洩らした。

Delineation in Valentine !