家に帰りジュネスで買ってきた食材をキッチンの机に並べて一通り見渡す。
「さて作るか」
「ねぇねぇ、菜々子ここで見ててもいい?」
 キラキラと期待の二文字を顔に貼り付けて笑顔を見せる彼女に少し戸惑いながら頷く。そんな面白いものでもないのだけれど。
「いいけど、危ないから気を付けてね」
 彼女がしっかりと頷くのを見届けて食事の支度へと移る。もちろん何にも見ずには出来ないので携帯で適当に見繕ったレシピを見ながらだ。

 だんだんだんだん。
「……」
 かちゃかちゃかちゃ。
「……」
 とんとんとんとん。

「えーっと、菜々子ちゃん? こんなの見てて楽しい?」
 下ごしらえを一通り終わらせたところで、背を向けていても分かる程度の強い視線に戸惑いながら聞いて振り返る。
「うん! すっごく!」
 けれど無邪気な笑顔が返ってくるものだから視線が痛いとは言えない。
「ねぇねぇ、お兄ちゃん」
「なに?」
「お兄ちゃん、りょうりじょうずなんだね!」
 凄い凄いと手放しで褒める彼女に苦笑しながらそんなことないよ、と返す。
「だって、ほうちょうもうごくのはやくてあっというまに切れちゃうし、まほうみたい!」
 なんとも可愛い表現に笑みが漏れる。けれど同時に、この家にはそんな風に当たり前に包丁を扱う人物が、有り体に言えば母親が、居ないと言うことを指しているような気がして少し複雑な気持ちになる。
 尤もそれは前が分かっていたことで今更なので顔には出さなかったし出してはいけないのだろう。そんなことよりも、今を喜んでもらおうと鍋に火をかけて蓋をしたところで彼女に向き直る。
「よし。菜々子ちゃん、今からサラダ作るから一緒にやろうか」
 よくよく考えなくても最初からこうすれば良かったのだと気付く。
「いいの!? あ……でも前にね、お父さんが危ないからだめだって」
 途端にシュンと小さくなる姿を見て苦笑気味に伝える。
「菜々子ちゃん一人の時はね。今は俺がいるしこれは火も使わないから大丈夫。叔父さんには俺が言っとくよ」
 ジュネスで買ってきた子供用の包丁を袋から出して見せる。
「えっ! お兄ちゃんいつ買ったの?」
「菜々子ちゃんが一生懸命ハンバーグの材料探してた時に。これも包丁は包丁だから手とか切らないように俺のいる時だけ使うように。約束な?」
「うん。……えへへっ、お兄ちゃんといっしょだね」
 それがなんとも嬉しそうなものだから、少し目を見開いて頷いた。
「……そうだね」
 そういえば自分も誰かと料理をすることも無かったと思い返す。とても新鮮で、怪我をさせないように気を張らなくちゃいけないけれど、それでもとても楽しそうだ。

「うん。じゃあまず、レタス切ります」
「はいっ」
「左手を猫みたいにしてみて、こう」
 こちらの仕草を真似させてレタスの上に丸めた手を置く。
「そしたら右手で包丁持って、気を付けて。ゆっくりでいいから、うん、そこに包丁置いて、切るよー」
 緊張の面持ちで包丁を持った彼女を見ながら適当な大きさになりそうな位置を指す。それをじっと見つめ、決意をしたように息を吸って包丁を動かす。
 殊更真剣な眼差しで野菜を切る姿に、つい昨日辺りに自分はもっと長い刃物で真剣に戦っていたような、と少し遠い目をしそうになってしまった。
「えいっ! ……切れた!」
「うん、上手だ」
「本当!?」
 ざくりと綺麗な音を立ててレタスが半分になったものと彼女を見比べて頷くとそれこそとても嬉しそうに笑う。
「よし、その調子で切ろう」
 側に居てレタスやトマトと奮闘する姿を見守る。たどたどしいけれど真剣な姿だ。
「お疲れ様。あとは……これ混ぜてくれる?」
 ゆっくりな作業はそれでも着実に終わり、予想以上に楽しそうだったのが見受けられたのでそのまま次の作業をお願いすることにした。
「うん、やりたい!」
「じゃ、それは任せるね」
 彼女にはサラダの盛り付けを頼むことにして、自分は一口サイズに切った野菜を固めてハンバーグの仕上げに向かう。あとはフライパンで焼くだけにしてソースを作っておく。簡単なのですぐに終わった。
「菜々子ちゃん、出来たよ」
 丁度盛り付けが終わったらしく彼女に声をかければそれを横に置いて近付いてくる。
「うわーっ、いい匂い!」
「うん、上々だ。じゃ、机に食事の用意するから、菜々子ちゃんはお箸と飲み物用意してくれる?」
「うんっ!」
 ハンバーグハンバーグと歌うように支度をする彼女の傍で準備を終えていつもの食卓へ腰を下ろす。

「「いただきます」」
 そうしてスプーンで口に運ぶ姿が少し気になる。レシピ通りに作ったから大丈夫なはずだけどと自分もそれを口に入れる。
 ――……うん。普通のハンバーグだ。
「すっごくおいしい!」
「え」
「このハンバーグ、とってもおいしい! お兄ちゃんすごいっ」
 自分とは違うそれに少し驚く。なんというか自分の作ったハンバーグは当然ハンバーグであり、それ以下でもなければそれ以上でもなかった。まさにそんな感想を抱いていた自分に対して笑顔の彼女を思わず見つめる。
「……そんなに美味しい?」
「うんっ!」
 嘘偽りない発言だと信頼できたから、少し照れ臭くなって頷きながら顔を隠した。
「菜々子ね、ほうちょうで切ったりたのしかったよ」
「そっか。菜々子ちゃんはさ、好きな食べ物とかあるの? 給食とかで出るものとか」
「菜々子、なんでも食べるよ。カレーも好き。あ、あとオムライスもおんなじくらい好き」
 菜々子のいちばん、なんて笑うからああ絆されるってこういうことなんだろうかと思いながら、今度は普通じゃなくて少し手の込んだオムライスを作れるようにレシピを調べてみようかな、なんて思った。


 そうして、三人分を作って叔父にも渡そうと冷蔵庫に入れて寝る支度をしていると、ちょうど目当ての人物が帰ってきた。何時もよりも少し早い。
「おかえりなさい」
「おぉ、ん?」
 叔父は少し驚いたように冷蔵庫の中身とこちらを交互に見ている。
 いつも帰るなり冷蔵庫からビールを出すことを知っていた彼女が手紙を冷蔵庫に貼り付けたのだ。彼女の計画通りであったから、もう一時間早く帰ってきてくれたらあの子もこの姿が見られたのになぁ、と思う。
「……なぁ、これ、お前が作ったのか?」
「はぁ、まぁ」
「……そうか。なんというか、すまん」
 たどたどしい反応は実のところまだ一ヶ月を過ぎたあたりで叔父としっかり話す機会はあまりないからかもしれない。それにしたってその返しの真意が分からず首を傾げた。
「もしかして嫌いでした?」
「いや、そうじゃなくてだな、菜々子のためにわざわざ……」
「違います」
 やっとその言葉がどういう意図で発せられたかを理解して少し強めの口調で言葉を遮る。嫌いじゃないと聞いた時から冷蔵庫から出したハンバーグを温め直す。
「俺が、作ってあげたかっただけです。いつも惣菜じゃ栄養偏るし」
 けれど、そんな食生活の理由を知っているからそれ以上は口を噤む。
 それを叔父はぽかんとこっちを見て、それから吹き出した。
「お、お前本当に男子高校生か?」
「? もちろんです。良かったら食べて下さい」
 はい、とハンバーグとサラダを渡す。少し戸惑いながら叔父は口に運んだ。
「一応、喜んでくれたんですけど」
「……お前、やっぱり男子高校生じゃないだろ」
 唸るような声がやっと賞賛のそれだと分かった。
「俺は男子高校生ですってば。ビールもいいですけど野菜も食べて下さいね、それ、菜々子ちゃんが刻んだですから」
 あ、ちゃんと見ていたし、一人の時は包丁使わないって約束したんで大丈夫ですよ。そう慌てて付け足すと叔父は安堵するように笑って食事を進めた。
「美味かった。……姉貴より料理上手なんじゃないのか」
「それは……じゃあ、言っておきます」
「おい、やめてくれ」
 間髪入れずに返された台詞に、いつかの花村との会話を思い出して苦笑する。やはり自分の母親であり彼にとっての姉という存在には敵わないのかもしれないと再発見する。
「今度は叔父さんの好きなのを作りますね」
「いいのか」
「ええ、ハンバーグは若い子の食べ物ですから。もっと煮物とかのほうがいいですよね」
「……お前、俺はそんな年食ってないぞ。まぁ、その方が食べ慣れてはいるが……」
 片付けをしながら言えば、叔父は憮然とした表情をして口を噤んだ。
「菜々子ちゃんもですけど叔父さんも栄養偏ってますよ。俺がいる間だけでも食べて下さい」
 一年だけですけどと叔父に告げれば、彼は少し目を見開いてそうだな、と俺には伝わらない何か複雑な感情を押し込んだような顔を向けてきた。
 それを感じ取れるようになるのはもう少し時間がかかりそうだった。

音を重なり合わせる