「菜々子ちゃん、今日はご飯買わなくていいよ」
 朝からパンを焼いて食べている彼女に向かって朝の挨拶をした後にそう告げる。
 バイトや部活で帰りが遅くなることもあるし、勢いというか成り行きというかそんなもので中々忙しく学校生活を送っている。
 けれど出来るだけ晩御飯を独りで食べさせまいと心に決め約束したのは少し前の話だ。それから実際に一緒にご飯を食べなかったのは部活帰りに愛屋に行った時くらいでそれにしても晩御飯を食べなかっただけで遅くなったわけではなかった。
「えっ……ごはん、いらない? 今日はいえで食べない?」
 自分の台詞は否定の言葉に聞こえたらしく、悲しい色を見つけて少しだけ安心した。社交辞令なんて知らなくていいはずの年齢なのだけれど彼女にはそれが備わっている気がしてならなかったから、彼女もそれなりに自分と食事をする事に習慣を覚えているのだと分かって良かった。しかし自分の言葉で誤解を与えたのだと反省もしながらゆっくりと付け足した。
「ううん。そうじゃなくて俺が作るから。菜々子ちゃんと叔父さんの分も買わなくていいよ」
「え? つくるの?」
「簡単なものしか作れないけどね」
 そう言えば、彼女は信じられないような目を向ける。
「お父さんはりょうりできないよ?」
 お父さんイコール男の人だと信じて疑わないのだろう。クラスメイトの男の子とは年齢も違うから当たり前だけれど、彼女は男の人は料理が出来ず女の人が出来るという認識なのかも知れない。俺よりもさらに狭い世界だろうから当然といえば当然か。そう思いながらなるべく優しい表情を心掛けながら苦笑する。
「それは出来ないんじゃなくてやらないだけじゃないのかな」
「ううん。だって前にめだまやきつくろうとして、まっくろにしちゃったもん。菜々子の方ができるよ」
 それはなんというか。出来ないと言ってもいいのかもしれない。ひょっとして油を引かなかったのだろうか、火加減だろうか。そのくらいしか失敗する要素は考えられないと思いながら、俺は彼女へと向き直る。
「叔父さんよりは作れるよ。菜々子ちゃんは何が好き? 食べたいもの教えて」
 最悪作ったことがない料理を言われても携帯でレシピを調べれば大抵は作れる気がした。まるきり初心者でもないし、ああでも流石にテレビで流れる様な豪華なものは作れないけれど、と心の中で先に弁明する。
「え? えっと、うーん……」
 それこそ真剣に悩んでしまった彼女にやはり笑みが浮かぶ。そういえば朝食を済ませたばかりだった。然程空腹でもない状況では浮かぶ物も浮かばないだろう。
「いいよ、別に今すぐ決めてって訳じゃないし。……そうだ、一緒に買い物行って決めようか? ジュネスでいいかな」
「えっ、いいの!? ジュネス行くの?」
「うん。早目に帰ってくるからご飯の材料買って一緒に食べよう?」
「うんっ!」
 先程の悩む姿は何処へやら、事の他嬉しそうに笑う姿はまるで花が咲いたみたいだ。ジュネスに行く事か俺が料理をする事か。どう考えても前者の笑みの様な気もしたがそれでも笑っているからいいかと思った。
「約束ね!」
「ああ、約束だ」
 稲羽に来て話す様になったクラスメイトと同等かそれ以上に笑顔になるのはやはり、彼女が従妹であり純粋な笑顔をくれるから返したくなるからだろう。

 大体にして、前々から気になっていたのだ。小学生になりたての子に対する食生活にしては余りにもお粗末すぎる。叔父は仕事が忙しいから仕方ないとはいえこれでは栄養が偏る。もちろん野菜も買ってはきているが、ジュネスの惣菜だけじゃなんだか少し味気ない気がするのは花村には申し訳ないけれど。
 とにかくレンジで温めただけではない作りたてのご飯を食べさせたかったのだが、花村にそんな話をするとお前は母親かと突っ込まれてしまったけれど。
 それでも約束通り授業終了後すぐに家へと向って玄関を開ける。
「ただいま」
「あっ! お兄ちゃん、おかえりなさい。本当に早くかえってきた!」
 少し居間から顔を出した彼女はそれは嬉しそうな顔をしていた。誘いを断って来た甲斐があるというものだ。
「約束したからね。ちょっと着替えてくるから待ってて」
「うんっ、ジュネスだー!」
 エブリディと続くいつもの歌はあまりに歌うから俺にも随分浸透してきてしまった。たまに口ずさみそうになって自分の口を抑えこみたくなる。

 うきうきという言葉を行動で表したような従妹の動きに笑いながら、色んな意味で行きなれたジュネスに足を踏み入れる。もちろん今日はテレビコーナーには用事はないけれど。
 いつもの惣菜売り場を通り過ぎて、何を作ろうかと考えていると声をかけてきたのは花村だ。
「いらっしゃーい。よ、菜々子ちゃん。こいつに何作ってもらうんだ?」
 彼女に目線を合わせて笑う姿はやはり俺よりも手慣れているように見える。見習って今度、学童保育のバイトでもしてみようか。
「ジュネスのお兄ちゃん。えっとね、うーん……なんでもいいの?」
 不安げに寄せられた眉で見上げられて苦笑する。遠慮の極致にいるだろう彼女にはなんだって作ってあげたくなる。
「俺が作れるものなら。とりあえず言ってみて?」
「あのね、菜々子……えっと、ね、……ハンバーグ」
 たっぷり時間をかけて出した単語の絵を思い描く。
「ハンバーグ?」
「……うん。だめ?」
 いつもご飯と出来合いの惣菜かカップ麺やパスタだからだろうかと判断して俺はうん、と考える。
 隣では花村がこそこそと耳打ちをしてくる。
「おい、お前作れんの? 俺よくわかんねーけど冷凍とかじゃ駄目なんだろ?」
「当たり前だろ。まぁ、何とかなるだろ。ソースもなんとなくだけど作り方わかるし」
「……ハンバーグのソースって作るもんなの?」
 驚愕の表情をしている花村に、適当に返答をして彼女に向き直る。
「いいよ。お店みたいなのは無理だけど、作れそう」
「本当!?」
「うん。で、どんなのがいい? 普通に玉ねぎを入れるか他の野菜入れるかその他のか」
「えっとね、お肉と玉ねぎがいい! あと、お兄ちゃんの好きなもの!」
 先程から嬉しそうな顔をずっとしている彼女を見て、こちらも嬉しい気分に漬かっているようだ。
「おお、肉ってのは里中と同じ気がするのになんでこんなに可愛げが違うんだ……最後の一言の差なのか?」
「よし分かった。それは里中にメールで伝えておこう」
 目を細めて言う花村に携帯を出してメール作成画面を呼び出す。宛先はもちろん里中にしてみせると急に顔色を変えたのでとても面白い。
「マジ止めて、ぶっ飛ばされる! とにかく今から肉のタイムセールだから安いですよお客様!」
「お兄ちゃん、行こうよ!」
 ぐいぐいと背中を花村に押され、彼女には携帯を出していた腕を掴まれてそのままずるずると肉のコーナーへと向かった。
 そうしてハンバーグとなった今夜のメニューは、それだけじゃ味気ないとサラダとパンを買う事にして買い物を続けた。もちろんパンを作ることはまだ出来そうもないので辞めておいたけれど。

此処の居場所を知って