「バイバ! キール来て!!」
 その特殊な言葉遣いでキールを呼んだのは、今まさに同じ家に住んでいるメルディだった。

 グランドフォールによってエターニア自体が無くなるという、今から考えてみればひどく現実離れしている状況はどうにか回避されたが、世界の危機だったということはまぎれもない現実だった。現に今、メルディの家があるアイメンの復興に追われている。
 キールはその復興の手伝いをしながら、いつものように図書館から本を取り出し、セレスティアにある技術を照らし合わせ作業が円滑に進むように思案していた。
 そんな時だった。メルディが2階のベランダから声をあげてキールを呼んだのは。
「キール、なぁなぁ、キール!」
「何度も呼ぶな! 聞こえてるぞ!」
 その声はとても可愛く、キールをある意味悩ませる原因であるのだが、慢性的に寝不足気味の頭ではいつも以上に素直な反応ができるわけもない。目元を押さえながら声を荒げて、声の主がいるだろう場所へと向かう。
「キール、見てな。ほらっ、早く早く!」
「なんなんだ、まったく……――あ」
 文句の後に出たのは無意識に発した言葉だった。
 目元から手を外すと自分の青色の髪には慣れない感触があった。
「雪だよぅ! 帰ってきて初めてだな〜」
「……へぇ、雪か」
 感嘆の声をあげると、隣へと足を運んだメルディは首を傾げる。
「キールはふわふわの雪初めてか? 幸福の雪一緒に見たよ」
「あれは正確には雪じゃないだろう、そもそも……いや、なんでもない」
「キール?」
 首を振って言葉を切ったキールに、メルディは不思議そうにその表情を見つめる。
 キールは苦笑して、今この状況で論理的な説明は不要だと感じた。そう思う自分は、やはり変わったのだろうと思う。
「雪は本当にすぐに溶けてしまうんだな。知ってはいたがこんな風に触るのは初めてだ」
 雪自体はセルシウスがいた山で見ていたが、あそこでは吹雪だったからこんなに静かに降る雪は新鮮だった。
「綺麗だなー」
 外へと差し出した掌に、降ってきた白い雪はすぐさま水滴になってしまう。そんなキールの隣でメルディはいつも通りの、軽く柔らかい足取りで雪を見つめていた。
「……しかし、雪が降るとなるとさすがに寒いな」
 外気温が寒くなければ雪は降らない。セレスティアの晶霊関係もあるのだろう、いくら厚着をしていたとしてもインフェリア出身のキールにはこの空気は冷たすぎる。
 それを聞くなり、メルディはキールへと文字通り飛びついた。
「大丈夫な! ほらっ」
「うわっ!? な、な、なにするんだメルディ!!」
「こうすると暖かいな!」
 満面の笑みで見つめてくるメルディは、キールの腕を掴んで自分の体を寄せる。
 その行為はあまりにも突然で、キールは当然のごとく固まった。先ほどの空気が一気に上昇したかのように全身が熱くなり、止めさせようとした時にメルディの満面の笑みと視線がぶつかった。
 こうなったら最後、キールにそれを止めさせられる術などない。
「綺麗だなー。幸福の雪の時よりずっと幸せよ」
「……そうか」
 なんとかメルディから視線を外して雪へと移す。
「なんだよう、キールは幸せじゃないか? 楽しくないか?」
 少しの不安と、疑問を混ぜた声でメルディはキールへと顔を向ける。言葉の意味を成さない母音を2文字ほど出して、諦めたように息を吐いた。
 白い水滴は空へと溶けていく。
 旅の途中で見た朝日の雪。
 比べてメルディにしたら特別でも何でもない普段通りの雪。
 けれどあの旅の時よりも近づいているだろう、その距離と彼女の笑みに安堵はするが、嬉しいようでやはり恥ずかしい気持ちが上回る。
 嬉しそうなメルディを見てキール自身が嬉しくないわけもなく、どうせ暗い空の下、顔も見えないだろうと高を括って小さく呟いた。
「そうだな。幸せ……なのかもな」
 自分でも呆れるほどの言葉だったが、近くにいたメルディにはしっかりと伝わっていて、彼女はとても1歳差とは思えないほど無邪気で可愛い笑顔を返した。
 さらに上昇しただろう自分の体温は、雪が降っている空気を持ってしても冷めてはくれなかった。

幸せの雪